前川喜平×おおたとしまさ 不登校の選択肢“ホームスクーリング”を阻む「学校信仰」(現代ビジネス) 

 

 

 この記事の内容はともかく、ここで出て来た「学校信仰」というモノが如何に恐ろしいかについて書いていこうと思います。

 

 子どもたちが学校を拒否しようとも、学校で性格が曲がろうとも、学校で命を落とそうとも、学校教育を否定する声は上がりません。それは、国家が国民を見殺しにしようとも、貧しくしようとも、如何なる目に合おうとも国家を否定しない姿勢と同じではないかと思います。

 

 私たちをこういう風にした責任は私たちにあって、学校や国家にはないというスタンスがそこにはあるのだと思います。

 

 これが学校信仰のもたらす悲劇なのです。

 

 本来、日本に学校教育はなかったのです。それは何度も書いているのでご存じかと思います。明治5年(1872年)に学制を交付してから始まったことであり、たった150年という日本の長い歴史の中の本の少しの時間にしか過ぎないのです。

 

 しかし、今日では日本古来の教育方法的な位置にある。学校教育なしでは何も始まらないくらいの力を持っているわけです。

 

 日本にはなかった学校教育によって日本人は間違いなく殺されている。今や日本人の殆どは欧米人並みの知性しか持ち合わせていないことは、欧米の後を追っている現状で分かるのではないでしょうか。

 

 学校の特徴は教師という師がいることです。教会の特徴は宣教師が居ることみたいに。それによって何が起こるかと言えば師に仕える人間を作る事になるのです。

 

 この時点で人間の平等は完璧に壊されている。最近は、教師に友達の様に接する生徒が増えているようですが・・・・

 

 学校教育に染まった人間は、常に師を仰ぐことになるのです。それは、師が居ないと何も出来ない事を意味する。そういう体質を作るのは、国民が国家に仕えるようにする為です。

 

 そうすることで反政府運動はおこらなくなるので、国家体制は安泰となります。しかし、その体質を悪用する人間が出て来るのです。

 

 師を作れば、それに仕える者が居て、その者たちを自由に操ることが出来るという状況が至る所で利用されるのです。

 

 各学会に於いては改めて言うまでもなく、それぞれが一つのカルトを構成しています。もちろん、カルト教団もその性質を利用している。学校に行くことに依って誰もがカルト人間にされているので、割と簡単にそれぞれのカルトに引き入れることが出来るのです。

 

 もちろん、企業もカルト教団と同じ内容で動いている。企業の場合は目的は金儲けであり、金儲けの為なら何でもやるというカルト教団と言えるでしょう。

 

 それ以外にも全てはカルトなのです。芸能人やスポーツ選手に最近ではユーチューバーという新しい師も現れている。そして、今ではカルトに嵌ることを「推し」という名前で表現している人たちも居るのです。

 

 学校教育は実に罪深いと思います。全ての人をカルトに追い込み、その中で生きることを幸せだと思い込ませるのです。しかし、そうやって思い込まされたとしても、それは、自分がそうしたいんだと思うから自分が利用されていることに気づくことはないのです。

 

 もちろん、死ぬまでそう思えるのならばそれでも良いかもしれませんが、そういう「嘘」は何時かはバレるのです。それがバレた時の衝撃はすさまじいのではないかと思います。

 

 もしかしたら、それに耐えきれなくなってボケるのかもしれません。人間には自分を守る機能があり、例えば、強烈な痛みから自分を救うために痛さを感じないようにすることも出来るみたいです。

 

 2000年以上前に始まった宗教によって、人間は狂い始めたのだと思います。そして、救いを求めて師を作り出すことで、それは止められなくなったのではないでしょうか?

 

 2000年前に我々が置かれた環境からすると夢の様な環境がありながら、それを誰もが享受することなく、全ての人が信仰によって辛い人生を逃れようとする様は、この2000年という長い時間を使っても、人間が成長していないという事だろうと思います。

 

 それは人間が成長しようとしなかったのではなく、信仰によって阻まれたという方が正しいのでしょう。

 

 辛く苦しい状況を何かを使って逃れようとすればするほど状況は悪くなるのです。信仰という他力本願によって安易に切り抜けようとした結果、人間は成長するどころか大きく退化してしまったのだと思います。

 

 もちろん、その先に待っているのは人類滅亡であることは言うまでもありません。そして、それを防ぐためには、学校教育を止め、信仰心を排除することが何より重要であると思います。

 

 大事なのは経済成長ではなく人間そのものの成長なのです。経済成長によって人間が劣化したのは明らかであり、これ以上の経済成長を目指すことは死期を早めるのではないかと思います。

 

 人間の成長とは何か?そして、どうすれば人間は成長するのか?

 

 それは、今の自分はどうなのか?をキチンと分析することで見えて来るのではないでしょか。年々、いや日に日に状況は悪化の一途を辿っているのです。

 

 そう思える人は特に自分を変えていかなければいけないし、そう思えない人は何も出来ないでしょうしする必要もないでしょう。今を生きる人間はどう思うかに未来は掛かっているのです。

 

 このままではいけないと思う人が増えれば増える程、その行けない理由が何なのかを考えて欲しいと思うのです。そして、間違っても勉強が足りないとは思わないでください。

 

 何故なら、今や学び過ぎているのですから・・・・