学校に行けない?行かない?学校長期欠席の小中学生が41万人現象のとらえ方と外れない論点とは。(今村久美)  

 

 

>この統計の取り方では、原因と結果の因果関係のほどに疑問が残りま

>す。子どもたちの本音や問題の本質を見出せぬまま、また次の1年が

>過ぎそうで不安です。

 

 第三者が見れば当然ながらこういうことを思うでしょう。

 

>しかし、こんなに短い間に、生物としての人間が、多様化できるものな

>のでしょうか。
 

 第三者であってもこういう見方になる。生物としての人間は本来多様なのです。それを150年という時間を掛けて、学校教育で一様に改造したのです。そして、それを当たり前にしてしまうと、多様が異常になる。

 

>子どもの教育は、未来のための予防医療みたいなもの

 

 予防医療ではなく洗脳です。国家の奴隷として働かせるために。教育と医療は非常に似ているのでそう表現する気持ちも分からなくはないが。

 

 この二つの分野に共通するのは、教育は子どものため、医療は患者の為と如何にも良い事をしているようなニュアンスを持っているという事。

 

 そもそも学校教育は誰の為にあるのか?

 

 それを子ども為という人たちは、洗脳されていると思うべきです。学校教育はそこで働く教師や、それを管理する文科省の為にあるが正解です。

 

 何故なら、学校教育がなくなっても子どもは生きていけるけど、教師と官僚は失業し生きていけなくなるから。これこそが真実なのです。そして、医療もまた全く同じ構図をしている。

 

 教師も医者も、仕事をするだけで収入を得られる。当たり前と言えば当たり前ですが、教師が生徒のニーズに応えられなくても、医者が患者を救えなくても、高い報酬を得られるという常識とはかけ離れた世界に居るのです。

 

 教育を受ける場合は目的がある。病気になったら医者に行くのと同じように。何かを習得したいから教育を受けるわけです。義務教育の場合、高等教育の為の準備となっているでしょう。

 

 しかし、教師は子どもたちの成績を上げることは出来ない。だから、大抵は塾に行っているのです。この時点で学校教育の意味はなくなっている。

 

 塾は自由に選べるし自分のペースで行動できるでしょう。そして、塾は結果を出せなければ潰れるのです。病院に於いても同じことが起こりますが、学校教育特に義務教育に於いてはそれはないのです。

 

 だから、学校は自分の非を認めない。実に傲慢な組織と言えるでしょう。それは、政府も同じではないかと思います。国家が国民に必要不可欠と思いこませてはいますが、国家が必要なのは官僚であり、国家がなくなれば官僚が失業して生きていけなくなるだけなのです。

 

 そういう実態を隠すために、学校教育に依る洗脳が行われているのです。しかし、最初から上手く行ってはいないのです。少なくとも学校教育が始まった150年前は誰も学校へ行こうとはしなった。

 

 何故なら、私塾である寺子屋があったからです。生きていくのに必要な読み書きそろばんは寺子屋が教えていたので。読み書きの実を教えるのではなく、農業や商いといった実業まで教えていたみたいです。

 

 当時の日本は世界でも屈指の識字率を誇る世界一の文明社会を築いていたという意外な事実もあるくらいです。

 

 しかし、悲しいかなこの150年で欧米を真似てバカになったのです。更に悲しいのは、それを知らない事。あろうことか欧米を真似て賢くなったと思い込んでいる事です。

 

 その結果、学校ではイジメが横行し学校へ行けない子どもも増え続けている。そして何よりも、我が子を満足に育てられない親を大量に作っているということです。

 

 そして、そういう親の元の育った子どもたちが、今や結婚もしなくなり、当然、子を儲けようともしなくなっているという哀れな時代を作ってしまったという事です。

 

 その根本には何があるかと言えば、それは「嘘」です。学校教育が子どものためという嘘、医療は患者の為という嘘、国家は国民の為にあるという大嘘。

 

 それらの沢山の嘘が今では嘘だと分かるようになってきているのに、その実態を見る目を失っているので誰もそうは見えないという悲惨な状況があるのです。

 

 それが学校教育という洗脳の恐ろしさなのです。洗脳によって全てが「アベコベ」にされた「アベコベ社会」となっているのです。だから、誰もが何をやっても上手く行かない。

 

 幸せになろうと一生懸命頑張っても不幸にしかならない。そして誰もが「こんなはずじゃなかった」と最後に思うのです。

 

>防ぎたいのは、子どもたちが社会から孤立していくこと

 

 例えば、こういう思いで何かをやることで子どもたちの孤立は増えていくのです。それは、人が何故孤立するかを知らないからに他なりません。

 

 人を孤立させるのは競争心です。そして、それを煽っているのが学校教育なのです。戦争がなくなって年以上が経っていますが、私たちはあの時代以上に戦っている。

 

 激しい生存競争を勝ち残らなければ生きていけない世界だから。もちろん、それを作ったのが学校教育です。学校で教えられる教科で競争をさせられる。それが将来の自分の価値を決める様にされて、誰もが逆らえなくなったことでそうなったのです。

 

 はっきり言って、人間は競争社会では生きていけません。何故なら、弱いからです。弱いと言えば情けないみたいに思うかもしれませんが、それは違います。弱いという表現を言い換えれば優しいのです。

 

 地球上で、いや、これまでこの世界に誕生した生物で最も優しい生物が人間なのです。しかし、悲しいかなその優しい人間を容易に変えることが出来る。

 

 冷酷無比な機械や悪魔にだって変えられるのです。それが人間が持つ能力高さという皮肉なのかもしれません。人間というのは極めて多様でありながら、一様にも化ける。

 

 優れた脳機能を使って人間は何にでも化けられるという器用さも持っているのです。それを使って国家が維持されているのです。そして、今やその器用さが人間の命を絶とうとして来ているのです。

 

 自殺をする人間、子どもを作ろうとしない人間が出来上がったのも、その器用さからであり、他の動物ではあり得ない事です。そのあり得ないことで人類は滅亡へと向かっているわけです。

 

>不登校だけでなく、"すべての子どもたち"に学びを届けられる仕組みに

>なっているかー

 

 事ここに至ってもまだ学びを続けるのでしょうか?

 

 人間はこれまで多くの事を学んできているのではないでしょうか?しかし、その結果がこれですよ。決して学んでいないからこうなったのではないのです。

 

 特に、終戦後の日本は、特に田中角栄が教員の給与を上げてからは、学び一辺倒だったのではないでしょうか。その結果が今我々が見ている世界なのですよ。

 

 何故、学んではいけないかについてば「学校で勉強するからバカになる」で詳しく書いています。要約すると、人は学ぶと考えなくなるという性質があるからです。

 

 文科省は自分で考えて行動するを学習指導要領に掲げていますが、バカだから、それを否定していることに気づかないのです。人は学ぶから考えると思い込んでいるのです。

 

 そして、考える力のない人間を量産している。それを見て更に学ばせようとするのです。それは大きな間違いであることも知らずに。無知ほど怖い事はありません。

 

 しかし、日本最高峰の東大を出てバカになっているとは誰も思わないし、当然、本人も自分が一番賢いと思っている事でしょう。それは、自分が賢いのではなく、賢い先祖の知識をパクっただけのコピー人間に過ぎないという事です。

 

 そして、過ちを何度も繰り返す。事態が改善することもなく。そういう状況を見て自分がバカだと思えれば良いのですが、当然そう思う事はありません。

 

 自分は賢いから間違わない。だから、悪いのはそれを聞かない子どもたちになる。そして、更に教育をして抑え込むわけです。自分が思う様な状況にするために。

 

 この繰り返しが歴史となっているのです。日本人は後100年足らずで少数民族に追いやられることになるでしょう。本来子を儲けるのが自然の生き物で、それが子を儲けるのを嫌がると変わった時点で、未来は閉ざされることに気づくべきだと思います。