自殺悩み相談、SNSパンク 25万件超、滞る返信「受け皿拡充を」 厚労省事業21年度:北海道新聞 どうしん電子版  

 

 

 人は何故、自ら死を選ぶのか?

 

 生き物としてあり得ない行動を取る不思議。自分で自分を殺すという愚かな選択をさせるモノは何か?そして、それが示す人間の未来は?

 

 悩み相談などと言った対症療法で対応してはいけない問題なのです。生き物としてあり得ない行動と取る理由を突き止めなければ、一人の人間が行う行動は全ての人間が行う可能性を秘めているから。

 

 医療に於ける対症療法という言葉が、私たちの世界に溢れているのです。とにかく症状を止める。見えている症状さえ消えれば解決という子どもじみた行動に終始する人間が、結局のところ自殺を引き起こすという事になるのです。

 

 私は常に何故から入る。そうすれば、問題の本質が見えて来るから。

 

 しかし、多くの人たちは、起こった症状しか見ない。そして、その症状に合った処方箋を施す。医療行為と全く同じなのです。だから、その症状は決して消えることはない。

 

 私から見れば、わざとそうしてるの?と疑いたくなる。そうすることで仕事が増えるから。お金が儲かるから。それはそれで資本主義に合致しており、資本主義の信者なら当然のことだとは思うのです。

 

 だから、そういう症状を喜ぶのかと思いきやそうではない。そういう症状が出ることに悩み苦しむのです。摩訶不思議と思えなくもないのですが、その理由は「学校で勉強するからバカになる」でも書いている、考える力の不足から来るものなのです。

 

 生きることの意味や価値を見失う事で人間は自ら命を絶つのです。前にも書いたように、脳の発達した人間には、自然に生きるという事が出来ないという致命的な欠点を持ってしまいました。

 

 動物としての人間ではなく、神の子としての人間。そして、神の子として相応しい人間になりなさいという教えが人間を殺すのです。

 

 そして、資本主義はお金がないと生きれない世界を作った。お金が人間の価値を決める世界になったのです。学校では点数で価値が評価され、社会に出るとお金で評価される。

 

 そういう環境に置かれた人間に考える余裕はないのです。考える前に勉強、考える前に仕事。こうした状況が人間を考えなくさせてしまい、人間は畜生並みに愚かな生き物に成り下がってしまいました。

 

 本当に畜生並みであれば、何も考えずに生きられるのでしょうが、同じ人間でありながら、評価によって大きな差が出るわけで、それが目に見えて分かるから苦しみ悩むわけです。

 

 畜生もペットになれば、豊かな暮らしが出来ますが、畜生の脳でそれが豊かであるか否かを認識することは出来ないので悩みも苦しみもないのです。

 

 本当ならば、人間は全ての人間が豊かに暮らせる世界を築ける能力を持っているのですが、それは、個々が自分で考えて行動しなければ築けない世界であり、点数に縛られ、お金に縛られていては、決して見えることはないでしょう。

 

 目に見える自殺という状況に、人々は恐れ戦くわけで、そういう羽目にならない様にと必死になって働くのです。人間にとっての自殺というのは、自分の命を絶つことですが、これが人類で考えると人類滅亡となるのです。

 

 そして、その兆候として少子化という現象が今絶賛進行なのです。命は繋げることで永遠を目指せますが、繋げられなければアッという間に滅びてしまう。

 

 あまり知られていないと思いますが、現在、地球上に存在する全ての生命体は、これまでに誕生した生命体の僅か0.1%程度であるという事。つまり、99.9%の生命体は既に滅んでいるという厳しい現実が隠れているのです。

 

 もちろん、人間がその0.1%に入れる保証はない。何故なら、人間の為に地球が存在しているわけではないからです。

 

 私が学校教育の最大の問題として唱えているのは「自分さえ良ければいい」という考えを植え付けることです。それが資本主義の原動力であるからそうするのですが。

 

 自分さえ死んでしまえばそれでいい・・・・こうなってしまうのも学校教育の仕業だという事です。人間は一人で生まれて来るし一人で死んでいくのでそれでも良いと思えるのかもしれません。

 

 しかし、人間一人をこの世界に誕生させるために、どれだけ多くの先祖たちがそれを支えているのかということを誰も考えもしない。それは、自分を大切にしていないということです。

 

 厳密に言えば、大切にする自分が消されているという方が正しいでしょう。これが学校教育に依る洗脳の恐ろしさと言えるのです。何度も言うように、資本主義というのはお金教という最新の宗教であり、私たちは好むと好まざるとに関わらず、学校への入学と同時に強制的に入信させられる。

 

 そして、人間同士に醜い争いを強いられ、奴隷の様に虐げられ、心身ともにボロボロになっていく。後は、それを稼いだお金を使って誤魔化す哀れな生き方を豊かさだと言い聞かされているのです。

 

 生きることが心底楽しいと思える人は殆ど居ないのはその為です。そして、そうならないのはお金を持っていないからと思いこまされている。だから、そうなる為に必死に働きお金を必要以上に得ようとするわけです。

 

 きっと、心底楽しいの意味も知らないでしょう。それは、そうならなければ分からないから。そして、分からないから、そう見える人を真似るのです。

 

 そうやって、分からないことをそう見える人を真似る生き方しか出来ない。これがまさしく「学校で勉強するからバカになる」状態と言います。学ぶとは真似ること。

 

 学ぶことで身につくのは真似る習慣に他ならない。そして、それは自分を殺す行為でもあるのです。真似ることで誰かに上書きされ自分が消される。

 

 それによって新たな自分を見出した気になり気分が良くなるのでしょうが、それは麻薬と同じ効果に過ぎないのです。

 

 自分が消されることで感覚は鈍る為に、更なる学びを取り入れなければ耐えられなくなる。こうして学び中毒が起こるのです。真似ることで得られる高揚感に酔いしれることは出来ますが、それが覚めると渇望感に苛まれるので、むしろ苦しくなるでしょう。

 

 こうして、今や人間の多くは楽しく生きれなくなったと思います。後は、ゲームやギャンブルに薬に頼って、その苦しさから逃れるだけなのです。

 

 こういう状況で結婚して子どもを持つことが出来るのか?辛い人生を歩んだ人間が、我が子にも同じ様な思いをさせたいと思うのかと言えば、それは難しいのではないかと思うのです。

 

 こうした状況を抜け出すには、資本主義という宗教から解脱することが必要であり、それを支える学校教育と国家を捨てることが大事なのです。

 

 世界は新たな金儲けとしてSDGsなどと騒いでいますが、そういう騒ぐ人間が居なくなればSDGsも意味を為さないのです。

 

 人間の可能性は人間にあるので、一人でも多くの人間が生まれることで可能性は無限に広がるのです。そして、それを実行して来た先祖たちによって今がある。

 

 今を生きる私たちが人類の最先端であり未来のカギを握っているのです。

 

 資本主義信者が信じて疑わない、お金があれば何でも出来るというお経は、今や風前の灯火となって来ました。お金という現実的な神は、その何でも出来る力で、人類を滅ぼしに来ているのです。