「孫家族」に悩む高齢者が増加中 共働き夫婦をサポートするうちに“無料家政婦”と化すことも | マネーポストWEB  

 

 

 かつて、子育て中に感じた途方もない疲労感。その時は、それが永遠に続くのかという思いが頭を過るのです。でも、その時に思ったのは、そこからは逃げられない。いや、逃げてはいけないという思いでした。

 

 何故なら、そうやって自分が育てられたのだろうからと思ったからです。

 

 永遠に続くかと思われた子育ての大変さが、過ぎてみればあっという間に終わりました。それが一段落したかと思えば、いつの間にか我が子は親になっていた。

 

 小さい頃から甘やかしたせいで、親に頼ることを何とも思わない?気楽に出来る大人に育ってました。あれから13年が経ち、一番上の孫は中学生になり、あまり口をきかなくなったわけです。

 

 一番下の孫はまだ三か月で、これはこれで口がきけない。その幼い孫を見るたびに、これまでの6人の孫たちとの関りが思い出されてくるのです。

 

 30代の子育てと同じことをしていた50代の孫育ては、それはそれは言葉に出せない程過酷なモノでした。彼らにとってジージは父親みたいなもので、父親がやるべきことを全部やっていたのですから・・・

 

 一番きつかったのは、4人目と5人目が殆ど変わらず生まれた頃でしょうか?上3人は幼稚園くらいでしたから、平日には、仕事から帰って近所にいる二人の孫を風呂に入れ、同居していた孫二人も風呂に入れ、そして絵本を読んで寝かせつけていた。

 

 昔もそうだったのですが、絵本を読んで寝かせつけるのは地獄であり、本を読むと眠くなるので、渡した最初に寝ていました。しかし、それは許してもらえない。

 

 起こされて最後まで読まされるわけです。目が閉じて文字が見えなくなるので、話を作って読んでいました。ところが、意外とそれが気に入ったようで、彼らは寝るどころか目を覚ますわけです。

 

 とにかく、30歳の子育てと同様に、いや、あの時以上に家事をやっていたので、それ以上かもしれませんが、休みがないのです。ブラック企業に務めたことはありませんが、子育てほどブラックなことはないでしょう。

 

 逃れられない責任は人間を育てる!

 

 逃れられる責任を逃げまくっていたので、この言葉が身に染みた経験です。人生とは大変なことの連続であり、それを航海に準える人がいる様に、それを面白いと思えるかどうかで決まると思います。

 

 私は幸いにもそれを面白いと思える人間だったことが大きいのかもしれません。しかし、それは最初からそうであったのはなく、途中でそうだと気づいたというのが正解だと思います。

 

 渦中にいる時には何も見えません。しかし、それが終わった後に残るモノがそれの意味を教えてくれるのではないかと思います。そして、それは渦中に入らなければ知ることは出来ない。

 

 大事なのは、喉元過ぎた後の事。熱さを忘れた後に残るモノが人生を決めるのではないかと思います。

 

 昔は、苦労は買ってでもしないさい!と教えられていましたが、金持ちになった今、苦労を買う事はなくなり楽ばかりを買っている。それが人生に何をもたらすのかは分かりませんが。

 

 多分、退屈で詰まらない人生になるような気がします。