先月、テレビが6年で壊れてどうしようかと迷った挙句、先週末ネットで買った。4Kだの有機ELだのと騒いでいる社会を尻目に格安の2Kを買った。一日一時間も見ないテレビ高価なモノは要らない。

 

 しかし、テレビ業界は挙って高いテレビを買わせようと躍起だが、下見に行った電気店の店員さんに聞いたところ、そんなに売れてはいないらしい。若者はもう買わないのではないだろうか?

 

 私も、これが壊れたら買わないかもしれない。最近、テレビの視聴率が右肩下がりで落ち続けている。もしかしたら、その原因の一つにテレビを持たなくなったということもあるのかもしれない。

 

 その先にあるのは、当然テレビ局の終わりと、政府広報のNHKの終わりという事も視野に入って来る。こうしたマスメディアの崩壊は政府にとっては大きな痛手となる可能性がある。

 

 なんだかんだ言って大衆はまだテレビを見ている。特に高齢者ほど見ている。だから、テレビから流される情報を鵜呑みにして政府の思惑通りの行動を取らせるのに役に立つ。

 

 国家の要は情報統制にある。それは、この情報化社会に於いても未だに続いている。何故そうなのかと言えば、国民の考える力が欠如しているからだ。

 

 もちろん、国民の考える力を奪っているのが学校であり、学校で先生の言いう事を聞くように手名付けているから、大人になっても先生のいう事を聞くのである。

 

 大人になってからの先生とは、大学教授や専門家といった著名人たちがその役割を果たしている。しかし、彼らの知名度は未だにテレビが担っているわけで、テレビが及ぼす影響は大きいのである。

 

 それが消えてしまうとどうなるのか?

 

 ネット上の影響力を与えるインフルエンサーという者がいるが、それは飽くまで特定の内容であり、政府の思惑をかなえるインフルエンサーは作れないだろう。

 

 日本の上層部のお友達が自分たちの好き勝手に色々画策することで、政府の屋台骨が打ち砕かれるという何ともお粗末で皮肉な結果が現れそうだ。

 

 大本営から始まった日本の情報操作はテレビの終焉によって、その強大な力を失う事になる。これが国家崩壊の始まりとなるのではないかと思う。

 

 差し詰め、安倍さんの国葬のテレビ中継は、消えゆくテレビへの餞なのではないだろうか?

 

 もちろん、ソレをやっている当人たちは全くソレに気づくこともない訳で、その姿は滑稽そのものではないかと思う。