教室に行けない息子はグレーゾーン? 悩んだ親が「これでいい」と思えた理由(現代ビジネス)  

 

 

 学校は正しい・・・・この思いが親を苦しめるのです。

 

 そして、学校嫌いな我が子を心配する。そういう親に向けて「学校で勉強するからバカになる」という本を書いて、学校が嫌いな状態はむしろ正しい事だということを訴えたつもりなのですが・・・・

 

 学校が正しい・・・・この強固な学業信仰は揺るがないのです。

 

 それは、親が当然ながら学校を出ているという歴史が、それを否定することを阻んでいると思うのです。どんなに嫌な思いをした学校も過ぎてしまえば懐かしい思い出となるのでしょうか?

 

 親がその苦しみから逃れるために出した結論は、我が子を障害児と認定することです。実に愚かで哀れな結末です。

 

 最近では、自分を発達障害だと認めることで楽になったという記事がたびたび出る様になりました。

 

 他人と違う事が障害になる。そんなバカな!!!!

 

 我々は皆他人とは違うんだ!!!という真実は葬り去られるのです。これが一体何をもたらせるのでしょう。自分を自ら籠の中に閉じ込めてしまう。自分の可能性を自ら否定することになると思います。

 

 それは、人間社会にとっては甚大なる損出になるでしょう。こういう発想は、人類滅亡を更に早めることになると思います。

 

 先日、あるサイトで何者にもなれない自分を嘆く投稿を見ました。

 

 何故、折角、唯一無二の存在として生まれた自分を誰か他の人にしなければいけないのか?折角、最新バージョンで生まれるのに、過去の人間にバージョンダウンしなければならないのか?

 

 という返信を書こうと思ったのですが、そういう人たちにとって、もはや、唯一無二なる自分は苦痛でしかないのだろうと思って止めました。きっと、そういう人は死ぬまで人生を楽しめないとは思いますが、それは何者かになれないからと言い訳したいのだろうと思うのです。

 

 こういう状況は多分、生きている実感がないからそうなるのです。もちろん、それは学校教育によって唯一無二なる自分が消されたことに依るモノです。

 

 こういう人を救う事は多分できないと思います。だから、そういう人を増やしてはいけないと思うのです。学校へ行かないのは正解です。それが唯一無二なる自分を守る唯一の方法です。

 

 ある意味、生きるか死ぬかの分かれ道です。まだ小さい子どもにそういう厳しい決断をさせるのは可哀そうだと思います。

 

 それを守れるのは親だけなのです。全ては幼い頃に決まる。子が幼いということは親だって幼いのです。だから、親も逃げ出そうとする。本当は、そこで親の親が助け舟を出せれば良いのですが・・・・^^;