あなたが友だちと「終わった」理由は? 意見の相違、心ない言葉、子どもの成人…世代別《友だち観》と「終わり」の理由【読者アンケート結果】 友だちに求めるものは、心のよりどころ、程よい距離感|人間関係|婦人公論.jp  

 

 

 私から見れば、何時までも友達が居る人が不思議に思える。人間には1日24時間という平等な時間が与えられており、それは絶対に守らなければならない。

 

 結婚前までは、それなりに親友や友達もいたし、子どもが生まれたくらいまでは交流があった気がする。しかし、仕事に追われ子育てに追われてくると友達と会う機会は激減した。

 

 別に会っても大した話はしていないわけで、会わないことで寂しいという事もなかったので段々と疎遠になっていったような気がする。自分がそうだから友達もきっとそうなんだって思っている。

 

 そして、子どもたちが結婚してホッとしたのもつかの間、今度は孫に時間を吸い取られて、むしろ若い頃より大変だった気がする。そりゃそうだろう。子は二人だったが孫は7人だから^^;

 

 今や、一番上の孫は中学一年生で一番下は3か月という状況で、随分と楽になって来た。友達の居ない人生を歩んだ来たせいで、今更友達を作りきは起こらない。

 

 それよりも、自分の人生をどういう風に仕上げていくかの構想で忙しい。意外に仕事が忙しいという事もあるけど。未だに休みは孫たちの予定に振り回せれることもある。

 

 私の場合、色々やりたいことだらけで落ち着かないのですが、出来たら死ぬまでに世界を感動させる傑作と呼べる小説を書きたいとは思っています。

 

 こうやってブログを書くことが出来れば、友達は要らないかなって思うのです。ブログを書くという行為は自分との対話ではないかと私は思います。どこかで書いたとは思いますが、書くことは非常に大事だと思います。

 

 何時からこういうことを始めたかは覚えていませんが、かつてはネットの掲示板が盛んで、熱い議論を展開していたこともあるし、そういう中でオフ会に参加して楽しかった記憶もあります。

 

 あれから多分四半世紀は経っていることでしょう。私の場合、済んでしまったことは直ぐに忘れる質であり、殆ど思い出すことはありませんが。

 

 今はここで脱資本主義を果たすべくいろんな角度から資本主義と学校教育と国家体制の問題点を指摘しているわけです。もちろん、問題点が分かれば解決方法も見えてくるわけで、自分の中では結構満足しています。

 

 人間はいつ死ぬか分からないという逃げられない事実から目を反らせることなく、いつ死んでも良いようにその日を精一杯生きることだけは何とか出来ているのか。いや、中々そこまでは行きませんね^^;

 

 何れにしても、年々限られた時間は減り続けていくわけで、残り少なくなる時間をどう使うかが大事ではないかと思うし、その使い方で人生の仕上がりも変わってくると思うのです。

 

 何度も書くように、笑って死んでいく。人生終わり良ければ総て良しは果たせるようにしたいものです。