「5つの欲求」が満たされにくい高齢期…“喪失”をどう補う? マズローの理論から考える“人生100年時代”の生き方(オトナンサー) 

 

 

>この理論から、人生100年時代といわれる現代の長い高齢期の

>暮らし方について考えてみたいと思います。

 この理論が間違っていたらどうなるでしょう?

 

 これが学問のとても恐ろしいところです。それが正しいと思い込むと、後に問題が起こってもその原因が見つからなくなる。

 

 最近話題の承認欲求なるものも、そんなものは本来、人間にはないのです。それは、学校教育によって作り出される不要な欲求であり、常に誰かを手本にするために仕組まれた罠と言えるでしょう。

 

 本来、人間は自分の事しか分かりません。何故なら、人間はみんな違うからです。それを学校ではダメだと教える。時には自分勝手だというでしょう。

 

 人間は誰もが自分勝手なのに・・・・それを頭っから否定するのです。そうやって否定された人間は、誰かに承認されないと自分を保てなくなる。

 

 大抵は、一生懸命働いて仕事で承認されることを望むでしょう。最近ではスポーツがあるかもしれません。そうやって人間を黙って働かせるために学校で洗脳しているわけです。

 

 生理的な欲求、安全の欲求という現実にあるモノを組み入れながら、所属とか承認という偽物を紛れ込ませる。これは詐欺師の常套手段です。

 

 全部嘘だと誰も信じないので・・・・

 

 そして、大抵は自分の言説ではなく、~教授の言説を引用することで言葉に重みを持たせるのです。今は故人となった古い考えを未来に適用するなど論外です。

 

 我々は、過去の人間の誤りを正す立場にある。何故、過去の人間は間違えるかと言えば、それは無知だからです。少なくとも現在を生きている、最新を生きている我々より無知なのは事実ではないかと思います。

 

 それは、大人が幼稚園児の言う事を聞くようなものです。そんなことをするから未来を誤るのです。我々は時代の最先端を生きている最新バージョンの人間なのです。

 

 だから、そのことに自信と自負を抱くべきなのです。間違っても、故人の世迷言に付き合うべきではない。しかし、学問はそういうことを平気でさせるのです。

 

 それは、過去を信奉する教授たちの企み、生きていく知恵であると思います。偉くなりたければ学問をしろ!人間は皆平等です。偉い人などいない。居るとすればみんな偉いのです。一生懸命生きているだけで充分偉いのです。

 

 それ以上に偉くなる必要はない。

 

 私たちは、誰もがそう思うべきではないかと思います。それを根底から壊す学問は私たちにとって最も危険なモノだと思います。