「将来に絶望し続ける大学生」の危うい思考回路、不安を抱いて何もしていないことこそ問題だ(東洋経済オンライン)  

 

 

  このことは「学校で勉強するからバカになる」を読まれた方には分かることですが、改めて、人が何故、絶望するのかを書いておこうと思います。

 

 今はない未来に対して不安を抱く人は実に多いのです。何故なら、何もない未来は不確定であり、その不確定という事が不安に思うのです。

 

 しかし、何も決まっていない未来だからこそ生きる意味や価値があるわけで、もし、不確定でなければ生きる意味はないのです。決まった未来など面白くもなんともないのではないでしょうか?

 

 そう思えないのは学ぶからです。学びというのは過去を知ることであり、それは確定した事実からなるモノです。だから、安心して取り組むことが出来るのでしょうが、そんなことを知っても本当は面白くもなんともないのです。

 

 だから、大抵の人は勉強が嫌いなのです。

 

 しかし、嫌いと言ってしないわけにはいかず、誰もが嫌々ながらでも勉強することで、過去の確定した事実に囚われる様になる。その結果、未来という不確定な世界が不安になるのです。

 

 そして、絶望する大きな原因は、学校では、或いは会社では、教師や上司から言われたことをするという他人任せの生き方をさせられるのです。俗にいう指示待ち人間、或いは働く機械となるわけです。

 

 そういう人生を送る為に我々は学校で教育される。嫌な勉強をすることで我慢強くさせられる。その我慢強さが働くためには欠かせないから。

 

 しかし、そういう人は主体性がありません。自分で考えて行動するという自由を知らない。だから、上司が居なくなったりして自分に命令する人が居なくなればたちまちどうすれば良いか分からなくなるのです。

 

 更に、人生は教科書通りにはいきません。他人の真似をしても上手くはいかない。学ぶという行為は他人の真似をする行為であり、学ぶ人は真似ることしか出来なくなるのです。

 

 そして、上手く行かなくなるとどうして良いか分からなくなる。浅き真っ暗になり絶望という状態に陥るのです。自分で考えて行動しない人の宿命だと言えるでしょう。

 

 自分が絶望したら、そういう生き方をしてきたと思えばよいのです。そして、その絶望から抜け出すには、自分で考えて行動することが欠かせないのです。

 

 唯一無二なる存在である自分を知っているのは自分だけであり、その自分をコントロールできるのも自分だけであるはずです。しかし、実際は学校教育によって自分を消され、他人にコントロールされる生き方をしてきている。

 

 そして、それで上手く行っていれば、そのことに気づくことはありません。

 

 ここが実に怖いところであります。上手く行かなくなって初めてそれに気づくことになるでしょう。気づかない人も多いのかもしれません。そういう人は生きるのが辛くなることでしょう。

 

 そういうのを誤魔化すために、この世界は様々なモノが用意されている。お酒にギャンブル、ゲームにスポーツ、或いは麻薬、そして王道は仕事と言えるでしょう。

 

 何かその辛さを紛らわせるもの、忘れさせるものに多くの人は没頭するわけです。そして、二度とない貴重な人生を無駄に過ごしてしまう。それは、竜宮城と同じではないかと思います。

 

 そんな人生は間違っていると思います。少なくても、この世で最も有能で高等な人間が送る人生とは程遠い。

 

 そういう生き方をするから最後は脳が消され、人類そのものも地球から消されてしまうのです。絶望という状態は、人間が人間として生きていないから起こる事なのです。

 

 もちろん、そういう風に人間を変えてしまったのは学校教育であり、それを受けさせられた者のせいではありません。しかし、そういう状態に陥った時に気づくことは出来ると思います。

 

 我々を辛く苦しくするのは、我々に気づいて欲しいという心の願いではないかと思うのです。人間には何故、心というものがあるのか。何故、心は様々な感情というモノを発して我々を動かすのか?

 

 何事にも意味はあるのです。そして、その意味を理解できるのが我々人間という生き物ではないでしょうか?犬や猫や猿には絶対に理解できない事です。

 

 その人間の持つ能力の高さを思い出してください。何かに没頭しなければ生きていけない程人間は低能ではない。誰もが、あらゆることに注意を払い、あらゆる可能性を模索し成し遂げる力を持っているのです。

 

 そして、確定していない無限の可能性を持つ未来を素晴らしいものにしていくべきなのです。変えれない過去を学ぶことで未来を変えれなくしてはいけないと思います。