来年までに1000店舗が消える…日本各地で「ファミレス離れ」が止まらない深刻な理由(プレジデントオンライン)  

 

 

 今やファミレスをはじめ外食産業が衰退の一途を辿っている。かつて、私が子どものころは外食なんて殆どしていなかった。貧しかったこともあるが、そういう習慣が無かったことが大きいのだと思う。

 

 しかし、最近ではファーストフードの登場も相まって外食が特別ではない時代となっている気がする。それでも、外食産業が厳しい状況に陥っているのは何故なのか?

 

 こういう状況の原因に使われるのが決まってコロナとウクライナである。しかし、コロナとウクライナが無ければこういう事態には陥らなかったのかと言えばそうではない。

 

 多くの人がコロナ前の事を忘れているに過ぎない。コロナ以前はデフレで苦しんでいたのである。それを何とかインバウンドで凌いでいたに過ぎない。

 

 そして、コロナによってインバウンドが絶たれたことで、元の木阿弥となっているに過ぎないのです。

 

 コロナが起こらなくても同じ結果を辿っていた。そして、その理由を知られたくないがために、そして、コロナ危機を起爆剤とするために、コロナは用意されたという事です。

 

 根本的な理由は資本主義の限界。資本主義の宿命なのです。資本主義は永遠に経済成長をもたらすわけではないということです。

 

 前にも書いたと思いますがその要因は二つ。

 

 資本主義という名の通り、お金が全てであり、お金が大事にされる世界では人間は二の次にされ粗末に扱われるので人口が減るということ。

 

 もう一つは、資本主義に欠かせない商材が尽きるということです。何もない時代には何かを作れば直ぐに売れて儲かるのですが、それがどんどん進んでくると、開発に時間とコストを取られる割には大して売れなくなるという状況になっていく。

 

 資本の効率がどんどん悪化するわけです。その兆候は金融バブルに表れています。モノやサービスを作って売ることで儲けるよりも、お金でお金を増やす方が儲かるということ。

 

 もちろん、資本主義はお金が儲かれば何でも良いのですが、それは諸刃の剣になるのです。お金でお金を儲けることは人が要らないということ。

 

 今日では株取引は機械でやっているわけで、電気さえあれば動き機械が最も効率よくお金を稼いでいる現状を垣間見れるのではないかと思います。

 

 その結果、資本は、お金は偏り出すのです。人間で言えば、お金は血液だと良く例えられますが、そのお金は世界中を駆け巡ることで人々の恩恵を与えてきたのです。

 

 しかし、資本主義はそれよりもコンピュータ同士でお金をやり取りするだけで増やすという最も効率の良い使われ方をするようになる。そして、格差が広がり、モノの溢れる世界で困窮という異常現象が起こるのです。

 

 そのそも、資本主義は助け合いの世界ではなく、競争、戦争の世界であり、勝者のみが生き残れる世界なので、困窮するモノを救おうとする者は殆ど居ないのです。

 

 だから、少子化が起こる。結婚や子育ては戦争をするのには邪魔だから。そんな暇があったら一つでも多くのスキルを身に着けて相手に勝つことを目指さなければいけないのです。

 

 儲けられる商材は減り、市場となる人口減少と高齢化という消費減退がどんどん進んでいくと、モノを売って成り立つ企業は窮地に陥るのです。それを回避するには、高いモノを売りつけるという詐欺を行うしかない。

 

 最初に憂き目に遭った白物家電業界が、市色物家電の高級化という発想で、洗濯機に冷蔵庫、掃除機、テレビといった電化製品の高額化で息を吹き返したのはご承知の通りです。

 

 そして、それに追随する形で、自動車産業が同じ手法で延命を図っています。

 

 かつての「良いモノをより安く」という社会貢献はそこにはありません。当然ながら「全てはお客様の為に」という信念もない。

 

 そこにあるのは、如何に客を騙して高額商品を買わせるかという悍ましい金儲けの考えだけなのです。今や我々が使用するモノは殆どが中国で生産されている。

 

 人件費の安い中国で生産して高く売れば企業はぼろ儲けとなるでしょう。

 

 そのツケは消費者が背負っているのです。大して必要もしない機能や商品をおだてられて買わされて、それを買うために必要以上に働かされる。そして、疲れ果て病に侵されるという始末です。

 

 もちろん、病になればなったで必要のない薬を飲まされ、時には手術をされ、ボロボロになるまでお金を搾り取られるという仕組みになっている。

 

 それでも、バカな国民は、そういう利用が受けられて幸せだと思うしかないのです。

 

 こういう人生を作るのが学校教育であると事は言うまでもありません。もちろん、その後ろにいる国家の思惑でそうなっている。いや、そういう思惑などないから質が悪いのかもしれません。

 

 全ては、良かれと思ってやったこと。その良かれが諸悪の根源なのかもしれません。常に、大事なのは結果です。悪意がなくても結果が悪ければ、それは悪意と言えるでしょう。

 

 一体どこで間違えたのか?一体何を間違えたのか?

 

 今やそんなことを考えることも出来ないし、そんな暇もない。しかし、本当にそれは出来ない事なのでしょうか?出来ない理由は山の様に見つかるのです。

 

 しかし、やる理由は一つしかない。やりたいから。現代人に最も足りないのは、この意志であると私は思います。そして、その意思を我々から奪ったのが学校教育であるという事を忘れてはいかねいと思います。