カルト教団が注目されて以来、洗脳の怖さが改めて浮き簿記になっているのではないでしょうか?そして、大抵の人は、自分がカルト教団に洗脳されなくて良かったと思うのかもしれません。

 

 今回、躍起になってカルト教団叩きがマスコミで展開されていることに私は違和感を抱いているのです。それはまるでスケープゴートの様に思える。

 

 元総理を射殺したり、霊感商法で法外な売買をしたり、財産を寄付させたりと、誠に酷い事をするのがカルト教団と呼ばれる組織であるという認識は多くの人に共通するのではないでしょうか。

 

 日本で最悪のカルト教団と言えば、あのオウム真理教が思い出されるわけですが、あの教団の凄いところは、まるで国家の様な組織を作っていたことではないかと思われます。

 

 その当時にピンとくる人は殆ど居ないわけですが、オウム真理教を見て、国家こそが最も最悪なカルト教団だと感じたのを覚えています。

 

 そして、オウム信者を改心させることの難しさ、カルト教団から信者を救う事の難しさは、言い換えれば、国家という最悪のカルト集団から、国民を解放する難しさでもあると実感しています。

 

 洗脳は一体どうやって行われるのか?

 

 と言えば、それは教育以外の何物でもないのです。カルト教団は、熱心な勧誘を元に信者候補を集めた後、教育によって信者を育てるのです。その教育には様々な仕掛けがあって、信者を納得させることで従わせる。

 

 カルト教団の教育を受けた人は殆ど居ませんが、学校教育は全ての国民が受けているわけです。当然、そこには戒律があり、学校教育は、個人の将来を担保に、戒律に強制的に従わせることをやっている。

 

 その戒律の基本となっているのは、ユダヤ教の教えなのです。

 

 ユダヤ教の最も重要な行動は教育。宗教教育と言うよりも知識教育と言うものになる。ユダヤ教の神髄は教育信仰なのです。だから、金儲けができるようになる。教義だけを学んでも金儲けは出来ない。そこが他の宗教とは根本的に異なるのです。

 

 ある意味、資本主義の生みの親と言えるのではないかと思います。従って、資本主義の恩恵に預かる人も多いという事になるわけです。

 

 何度も書いている様に、資本主義というのは「お金教」という宗教になります。それは、お金が全てという世界を作る宗教。命よりもお金が大事な世界となる。

 

 そして、資本主義の国々で行われる学校教育は、資本主義を教えることをやるのです。当たり前の事ではありますが、そこには本人の了解はありません。

 

 資本主義という宗教は、本人の了解なしに加入させられるこの世で立った一つの宗教なのです。だから、誰もがそれを宗教だとは気づかない。従って、オウム信者と同じように統一教会信者と同じように、資本主義の教義を信じて疑わないのです。

 

 一言で言えば、洗脳されたと気づかせないということ。

 

 それは、カルト教団の常套手段だと言えるでしょう。洗脳された人間は、ある意味、人間ではなくなるのです。何故なら、自分で考えて行動しなくなるから。

 

 カルト教団の教義によって動く機械と成り下がるのです。ここがポイントです。バージョンアップするのではなく、バージョンダウンさせられる。有能な人間が無能な機械へと成り下がるということです。

 

 もちろん、それに気づくことはない。

 

 洗脳という行為の恐ろしさと言えるでしょう。

 

 しかし、何故、そういう事になるのでしょう。それは、一重に無知が為せる技ではないかと思います。本当を知らないから嘘で騙される。自分にとって心地よい嘘に釣られるのです。

 

 そもそも、学校教育と言う教育そのものが人間の能力を貶めるものなのです。何度も言うように、人間の脳の優れたところは想像力にあります。無から有を生み出す力。

 

 機械には絶対に出来ない事です。そして、その想像力を引き出す源になっているのが心なのです。物凄く敏感でパワーのある感情。このエネルギーが想像力をもたらすのです。

 

 しかし、心ほど厄介なものはありません。だって、自由だから。誰かの思い通りにはならないから。人間は心のままに生きてこそ人間としての真の価値を生み出すのですが、それは言い換えれば統制が取れないという事を引き起こすのです。

 

 誰かの思惑で動かせる人間にするためには、その勝手気ままな心を潰さなければいけないのです。そして、その心を抑えるために戒律が作られるわけです。

 

 戒律とは不自由なものです。自由な心を檻の中に閉じ込めるのが戒律と言えるでしょう。そして、心が戒律に閉じ込められることで、人間は自由を奪われる。だから、誰かの言う通りに動くしかなくなるのです。

 

 こうして、長い時間を掛けて人間は、自分で考えて自由に動く生き物から、誰かの指示で動く機械へと変えられてきたのです。そうするために、学校教育と言う洗脳を全員に施してしまったということ。

 

 その結果、人類はまもなく滅びることになるということです。

 

 それを阻止するには学校教育を一日でも早く止めるべきなのですが、カルト教の信者にそれは通じないのです。資本主義と言うカルトの中でしか生きられない機械人間にとって、絶対に受け入れられないことだと思います。

 

 しかし、残念ながら資本主義は人間を幸せにすることは出来ないし、人間を守ることすら出来ないのです。それどころか、人間を抹殺しようとしているのです。

 

 有能な経営者なら分かるでしょうが、利益を上げるのに最も邪魔なのは、今や人間なのです。新しい技術を開発できない人間、売り上げを伸ばせない人間。休みが必要な人間。

 

 そして、お金を使わない人間。それは、人間から見ても資本主義が邪魔になっているという事でもあるのかもしれません。だけども、それに気づく人間は居ないでしょう。

 

 これが洗脳の恐ろしさなのです。人間の脳をバージョンダウンさせた結果と言えるのです。だから、世の中がどんどん悪くなる。未来がどんどん見えなくなる。

 

 まさに、「学校で勉強するからバカになる」状態と言えるわけです。

 

 文字や数字を認識する脳は常に騙されるのです。だから、頭を使えば使うほど騙されるという事になる。文字や数字という目に見えるモノは常に騙しの道具となるのです。

 

 従って、大事なのは目に見えないモノ。それを感じ取るのが心の役目であり、人間が人間としてこの世界に存在できる唯一の道となるでしょう。

 

 自分が何を感じるか?

 

 恐らく、常にそれは正しい。何故なら、感情は嘘が付けないから。後は、その何の根拠もない感情をどこまで信じられるかだと思います。多分、感情に逆らって生きる人ほど苦しい人生を送らされるのではないかと。

 

 そして、人生とはそういうものだとしたり顔をする。実に浅はかで無知なる生き方ではないかと思います。昔の人たちがそうだったからと思う人が多いとは思いますが。

 

 それは、昔に人と自分が同じレベルにあることを示すわけで、そこにどれくらいの時間差があるかは知りませんが、その間全く成長していないという事を証明することになるのです。

 

 もし、昔の人と同じであれば、情けないと思うべきです。そう思えない人は自分の人生を生きていない人だと思います。