「不登校」「いじめ」子どもの生きづらさへの社会的関心が1年で2倍超える【調査結果】(ハフポスト日本版)
>学びの場や遊びの場が奪われ、子どもたちの活動の場は否応なし
>に家庭へと移りました。両親が共に働く家庭は多く、学校をはじめ、
>習い事や塾などの代替機能を、家庭が果たさざるを得ない現実に
>直面し、大人も子どもも、呆然と立ち尽くす状況になった。
>そして、生活習慣が大きく歪められた結果として、不登校となった
>子どもが増え、相手との距離感やコミュニケーションの取り方を正
>しく身につけられないことで、いじめの質が変容してしまった。
実に滅茶苦茶な分析ですね^^;
本来、子育ては家庭でやるべきであり、親は常に子どもに大きな関心を寄せているのではないでしょうか。それをどこの誰とも知れない教師に一任出来る神経が理解できないのです。
自分の大事な子を、他人任せに出来る?少なくても私は出来なかった。だから、学校に行きたくなければいかなくて良いと言っていたし、勉強はしなくていいとも言っていた。
大事なのは常に、自分で考えて行動することであり、そういう自由があるから人生は楽しいのであるという事だと思う。
最近はコミュニケーション能力をやたらと持ち出すが、そういう人間に限ってそれはない。そもそも、誰とでも話せる人間は居ない。逆に、お金を貰えれば誰とでも話せる人間は多い。
人間は、好き嫌いで行動する生き物だから、先ずは好きな人が居ないと話にならない。恐らく、コミュニケーション能力が落ちたというのは、言い換えれば好きな人が居ないという事なのだろう。
他人をイジメている時点でそれは大体想像できる。バカな親たちは、人を好きになることよりも、テストで点数を取ることしか言わないだろうから、生きていることが詰まらなくなって他人をイジメることになる。
先を生きる親にとって、後を生きる子どもたちには言いたいことが尽きないのではないだろうか?良い事も悪い事も包み隠さず教えてあげることが親の役目ではないかと思う。
だから・・・こうしろ、ああしろではなく。自分はこう考えてこうした。そして、こうなったという結果をどう思っているのか。大事なのは常に今である。
親が幸せそうに見えることが子どもたちの未来を照らすわけで、先ずは親が身をもってそれを実践すべきである。人生は楽しいんだぞ!これを示すことが親の責務だとワシは思う。
もちろん、楽しいのは楽しい事ばかりではない。その何倍もの辛い事や苦しい事もある。だけども、そうした事を踏まえても人生は楽しいと言える生き方をどうすれば出来るのかを示すことが親の役目だと思う。
先を歩く者にはそれなりの責任がある。それをお金で済ませては未来に何も残らないだろう。大事なのは常にどう生きるかであると思う。