脳が否定形を理解できないという事に関しては、大分前に書いたと思いますが、何故、脳が否定形を理解できないのか?という事に関して書いていなかったので書いておこうと思います。

 

 脳が否定形を理解できないということを改めて我々は肝に銘じておく必要があると思います。何故なら、それが自分の人生を大きく左右することだから。

 

 人間というモノをキチンと理解しておかないと人間を上手くコントロールできない事は誰でも分かると思います。自分という人間も当然のことながら人間の端くれであり、自分を知る上でも人間を知る必要があるのです。

 

 否定形を理解できないということは、「~してはいけない」と念じてはダメだということです。「あんな人間にはなりたくない」というと分かりやすいと思いますが。

 

 自分にとっての夢や理想を持つことは非常に難しいモノです。従って、多くの人は夢や理想を語るより、現実を語ろうとする。そこで登場するのが否定形なのです。

 

 嫌な現実や辛い現実を否定する。否定することで、そういうことのない世界へ行けると思うからでしょう。しかし、脳はそうは取らないのです。そして、嫌な現実や辛い現実の方へ自分を誘導していくことになる。

 

 従って、そう言う生き方をすると辛い現実は一生付き纏ってくることなるということを覚えておく必要がある訳です。

 

 人間の脳は実に万能であり、人間の望みをかなえる力を持っている。大事なのは、それを信じれるかどうかということです。学校で勉強する人たちは自分以外の誰か偉い人を信じる様に教育されるので、中々自分を信じることは出来ません。

 

 その結果、偉い人に支配された奴隷の人生を送らされ人生が修行と感じられることでしょう。何故なら、他人になる為には自分を殺さなくてはいけないからです。

 

 前置きはそのくらいにして、何故、人間の脳に否定形が理解できないのかに戻ります。否定形を理解できないモノとしてはコンピュータがあります。そもそも、コンピュータはDOという何かを為す指示を出すものであり、何かをしないという選択肢はないのです。

 

 もし、させたくなければコードを書かなければ良いだけだから。

 

 そういう点で見れば、我々が住む地球も実はそうなっているのではないでしょうか?全てのモノがこの世界に生まれるという事は、何かを為さない為ではなく、何かを為すために生まれてくるのです。

 

 つまり、この世界には肯定しかないという事です。

 

 そして、肯定しかない世界で唯一否定を叫んでいるのが我々人間だけだという事。この恐ろしい事実に辿り着くわけです。

 

 何故、恐ろしいかと言えば、肯定世界で否定を叫べば消されることになるからです。これが人類滅亡の根本的な要因ではないかと思います。

 

 従って、我々人間は直ちに否定から脱しなければいけないのです。そして、人間世界を否定形で支配しているのが資本主義となるのです。

 

 資本主義の世界では否定しか有りません。

 

 「~してはいけない」

 

 学校で教わるのは常にこれではないでしょうか?

 

 そして、「~してはいけない」の番人が国家と言えるでしょう。国家を形作る法律は「~してはいけない」大全となっているのです。そして、我々国民は、その大全にがんじがらめにされ身動きが取れなくなっている。

 

 まさに奴隷状態ですね^^;

 

 無法地帯と言えば、恐怖を抱かせる響きがありますが、私たちは無法地帯で平穏に生きていける術を構築するべきだと思うのです。かつて、脱資本主義の世界になれば、犯罪はなくなると書いたと思います。

 

 犯罪をしないで済む世界が一番であり、その為には個々人は他人の為に何が出来るのかを考えるべきであると思うのです。

 

 学校で煽らなければ、人間の欲望は限りなく小さいままです。欲望とは本来、必要なモノを求めることであり、必要以上に求めることは意味がないのです。

 

 その時間は無駄にしかならない。時は金なりという言葉があるように、この世に生まれた私たちは、二度とない一瞬一瞬を生きているわけで、その掛け替えのない時間を必要ではないモノの為に費やすなど愚の骨頂だと思うのです。

 

 学校で煽られまくった頭脳を如何に冷静にするかが脱資本主義をかなえる鍵になると思います。世界は肯定によって作られ続いていく。その中に否定が入る余地はないのです。

 

 私たちは、そのことを今一度思い出すべきではないでしょうか?