「歳だからと言わないで」専門医が伝える、年齢への偏見を手放し「最高の老後」を手にする方法(webマガジン mi-mollet)
〉歳をとることには、良いことと悪いことの両面
〉があり
そもそも、この善悪という価値観がまずい。もちろん、コレを徹底的に仕込むのが学校教育です!
そして、善悪という価値観は他人を追い込むだけに留まらず最終的に自分を追い込むのです。追い込まれるのが好きな変わった性格の人は良いでしょうが。
しかし、善悪、優劣、正誤といった人間が作った価値観に人間は苦しむのです。実に愚かであると思いませんか?
どうせなら、自分が楽しく生きていける価値観を持ったらどんなに素晴らしいでしょう。
生きる事は何かと言えば得ることです。生きる時間が長ければ長いほど得るものは増える。コレが真実ではないでしょうか?
得れるモノは経験です!何事も経験することで理解できる。私たち人間は非常に有意義な人生を得ているわけです。
そこが他の動物たちとは雲泥の差と言える。
しかし、多くの人は無用な価値観によって得る事を失うことに見間違えるわけです。ソレは多くの場合、目に見えるものではないでしょうか?
見えるものは常に変化します。つまり、諸行無常であり儚いのです。逆に目に見えないものを私達は持っている。
ソレが人間の凄さであり人間だけの特典です。
だから、人間の真価はそこにあると言えるわけです。その目には見えないモノを認識するために私達には心があります。その心を躍らせるために私たちは生きているのです。
だけども、身に見える儚いモノに心は踊らされるので、私たちはソレに振りまされ本当に大事なモノを見失うのではないでしょうか?
目に見えるモノが現実であり全てであると思い込むのは脳の仕業です。私たちは脳に支配されると現実に飲み込まれる。その現実とは脳が作り出した錯覚と言えるでしょう。
しかし、目に見えている以上、それを錯覚とは思えないわけで、この世で最も価値ある生を無意味に見せる現実に依って失わせることになる。
実に哀れでありもったいないことではないでしょうか?
私たちは、それは人間に限らず全ての命は、稀有な存在であり、当たり前にある訳ではないのです。しかし、目に見える現実がそれを隠してしまう。
そうやって、本当の事は何一つ分からなくなるわけです。だから、例えば、不出来は悪い事になり、老いは忌み嫌われるようになる。
生まれて来たものは必ず死を迎えます。それが自然の摂理なので誰も逆らう事は出来ません。死は何のためにあるのかと言えば、進化に必要だからなのでしょう。
その時代時代に役目を持って生まれた命は、その役目を果たすことでこの世から消えなければいけない。そうしないと次に生まれて来る命が次の時代を作る役目を果たせないからなのでしょう。
そうやって命は永遠に繋がろうとしているのです。それは、遺伝という形で私たちを永遠にこの世界に存在させてくれる魔法と言えるでしょう。
今を生きる者の遺伝子を受け継ぐことで私たちは未来を見ることが出来るわけです。今の自分の体終わっても命は終わらない。そうやって繋いできた先端に今を生きる私たちがいるのです。
多分、そういう自然の壮大な生について気に掛ける人は居ないでしょう。
日々、どうでも良い経済活動に追われ、自分が何のために生きるのかさえ分からない、まるで畜生の様に人生を活かされているわけです。当然ながら、そういう人生で心が躍ることはないでしょう。
もちろん、私たちをそういうレベルに陥れたのは学校教育です。どうでも良い知識を必死で覚えることに専念させ、私たち人間、いやあらゆる命の壮大なロマンなどそっちのけで育てた結果です。
その結果、バカみたいなことで争い命を奪い合う畜生にも劣る人間界と落ちぶれてしまいました。全くもって宝の持ち腐れではないかと思います。
全てはプライスレスなのです。お金などという紙切れを全てにしてはいけない。早く、そういう考えを我々に植え付ける資本主義から脱却しなければ、人間の真価はゼロになってしまうでしょう。
人類滅亡が近づいているのはそれを示しているのかもしれません。