NTT、3社の社長交代を発表 純利益、初の1兆円超 

 

 

  資本主義では、利益が増えることが正義であり、正解であり、頑張った証として評価されるのですが・・・

 

 前にも書きましたが、企業を人間に例えると、そうやって太った人間は自己管理できないと批判されるし、メタボで命の危険があると警告される。

 

 個人的には、本当に優秀な会社は利益ゼロの会社ではないかと思うのです。全てを完璧に実行出来てこそ実現できる夢の決算ではないでしょうか?

 

 もちろん、そういう評価をするアナリストも教授もいませんが^^;

 

 企業は利益が膨らみ内部留保で肥満が拡大している。それと対照的に国家は赤字が膨らみ、企業の内部留保分を超えている。実に歪な社会ではないでしょうか。

 

 更に、そういう中で、国民は貧困化している。これでも、莫大な利益を称えることに意味があるのでしょうか?

 

 企業が莫大な内部留保を世の中の為に使えば、恐らく殆どの問題は明日にでも解決するかもしれません。もちろん、単にお金を配ってもダメで、適正な投資として社会をさせる事業をやるという事です。

 

 この社会はお金にはならないが必要な仕事は山の様にある。本来はそういう仕事をキチンとやって全ての国民が穏やかに暮らしていけるようにする為に国も企業もあるのではないかと思います。

 

 しかし、学校教育ではそういうことを教えない。自分だけが良い点を取って褒められ豊かになる事しか教えないのです。だから、誰もが自分が頑張ったことで自分が良くなるのは当たり前であり、頑張らない奴が悪いとなる。

 

 かし、そういう人たちが手にした報酬を出したのは誰かという事を知らない愚かな発想だと私は思います。前にも書きましたが、企業を形作る定款に金儲けをするという事を書いている企業は一つもないのです。

 

 全ての企業は社会貢献を謳っている。だけど、たくさん売って儲けることが社会貢献となっているのです。

 

 多くの人に役に立つから儲かる。それを社会貢献と言えば間違いではありませんが、その多くの人たちを見捨てると明日の売り上げが減るのも当然ではないでしょうか?

 

 商品やサービスで困っている人を助けるだけではなく、そこで得たお金で、お金の取れない商品やサービスを提供するのは国家や企業の責任だと思うのです。

 

 そういうことをやることで、企業が窮地に立たされた時は、多くの人たちが助けてくれるのです。そして、その日は今やそう遠くないでしょう。互いに助け合う社会を作らないと全滅ですよ。