安倍元首相「日銀は政府の子会社、何回借り換えても構わない」発言が物議…「アベノミクス」失敗の言い訳と批判の声 

 

 

 

〉対外的には、「日銀は、中央銀行なので、独立
〉した政策決定権があり、行政とは別物です」と
〉言わないと海外から信用なくします
 
 今や嘘を言わないと信用を無くすというアベコベな社会となっている。そして、本当の事を言うと批判されるのです。私からしたら頭おかしいと思うのですが・・・
 
〉返済せず、借り換えを続けていくなら、消費税
〉も必要ないし、年金減額も無い、逆に年金増額
〉すべきだろう
 
 ということになる。そして、それは労働を意味を失わせるのです。働いてお金を得ないと生きていけないから人々は働く。実際には働かせれるわけです。
 
 お金と言う何の価値もない紙切れに人間は人生を吸い取られているという実態が顕わになるのではないでしょうか?
 
 そして、元締めは当然国家となります。既に何度も書いている様に、資本主義と言う思想は、国家がお金と言う紙切れで国民を統治するシステムなのです。
 
 そのシステムにいる間は、私たちの本当の人生は手に入らない。しかし、元総理が平気でそういうことを言うようになったということは、資本主義がそろそろ終わるという事なのでしょう。
 
 お金持ちにとっては非常に辛い現実であると思いますが、お金を持たない庶民にとっては朗報と、いや福音となるのではないかと思います。
 
 倒幕の日は近い。後は、資本主義の元締めである国家を支える学校教育を止めれば、倒幕がかなうのではないかと思います。
 
 人間を動かすのは考え方であり、その考え方が人間社会を作るのです。
 
 従って、我々人間が何を望むかで決まる。大事なのは自ら望む事であって、システム管理者の望みを望む事ではないのです。
 
 自分の為の人生。それは誰かに教えられて作るモノではない。どんなに時間を掛けても、自分で考えて行動することで築くモノなのです。それが、我々人間に与えられた特権であり、その特権を自由と呼ぶのではないでしょうか。
 
 自由は全ての人にある力です。そして、本来、自由が他人の自由を阻害することはありません。何故なら、人は全て違うから。住んでいる世界が違うからです。
 
 しかし、学校教育に依って同じ世界に閉じ込められれば、互いに自由を阻害し合い互いが争うという異常な世界を作ってしまうのです。そして、その異常な世界が資本主義を生み出したのでしょう。
 
 そして、その異常な世界に長くいた人間は、それが正常だと間違った認識に縛られている。学校教育を止めることで、これからの人は、正常に戻れますが、学校教育を受けた人たちをどうやって戻すのかが大きな問題となると思います。
 
 しかし、新しい世界の原動力は、この異常な資本主義と言う世界で虐げられた人たちであり、どうすれば良いかを知っている人たちになるのではないかと思います。
 
 そこで注意しなければならないのは、資本主義の信徒たちの回帰を目指す行動になる。そういう人たちと争うことに意味はないのです、出来れば世界を分けることだと思います。
 
 資本主義と運命を共にしたい自由もあるわけで、私はそれを否定する気は毛頭ありません。新しい世界を資本主義と併存させるのか、完全に区切るのかは考えていませんが、彼らは他人のモノを奪うことで自分を良くしようと考えるので、離れるべきだと思います。
 
 そして、新しい世界、それは多分、人間主義という考え方になるように思いますが、個々人の考えを尊重し、互いに補い合う優しい世界が作られるのではないかと思うのです。
 
 私は、それが本来の人間であり、その為に人間には心があるのではないかと思っているのです。資本主義の世界では、心が放つ感情を悪者にされ、心を疎ましく思われていますが、それは、資本主義と言う世界だからそうなるわけで、それが本来の役目ではないと思うのです。
 
 しかし、資本主義をここまで発展させた根底には優しさがあり、それがなければ資本主義はココまでなれなかったと思っています。
 
 人が離れていくのは寂しい事ですが、人生に於いて出会いと別れは付き物であり、別れは新しい出会いをもたらし、新しい人生に通じるのではないかと思います。
 
 そうやって我々は今日まで来ている。そして、そうやって我々は未来を創っていくのだと・・・