40代から「脳」はこうして壊れてゆく…最新の研究でわかった「認知症」驚きの新事実 

 

 

 

〉ところが、何らかの理由で性質が変異して
〉分解されにくくなる。
 
 本来はこの原因を究明するのが医学だと思うけど、何故かその原因を究明する者は居ない。そして、ソレを分解する薬剤を投与する。
 
 コレが対症療法というモノです。だから、投与される薬は無限に増えていく。そうやって人間は薬漬けにされるのです。
 
 認知症は病気ではないと言い続けて何年経つのか忘れたが(^_^;)こういう話には口をはさむ悪い癖がある。きっと、認知症が脳の退化という事に気づいたから口を挟みたくなるのでしょう。
 
 改めて、脳の萎縮、機能低下が何故起こるのかを考えてみる。まあ、医者は何か異常が起こると直ぐ病気にする悪い癖があると思う。恐らく、職業ではないかと思う。
 
 私は起こることには常に意味があり理由があると思う質で、認知症を検証した結果、脳の退化である可能性に気づいたのです。
 
 これは、「学校で勉強するからバカになる」という事に気づいたから分かった事であり、この理論が分からない人には分からないと思うのです。
 
 ソレはつまり医者や学者には永遠に見えない世界になると思います。そして、彼らは認知症を病気と呼び色んな薬を飲ませても目立った改善は得られないでしょう。だから、薬の開発に難航しているわけです。
 
 薬の開発が難航する状況を見て、もしかしたら病気ではないのかもしれないとは決して思わないわけです。それは医学自身の否定になるから。医者が一度病気と判断したものを後になって病気じゃないとは口が裂けても言えないのです。
 
 こういう状況を作りだすのが学問の最も愚かな点であり、先人の過ちを指摘することが許されないという悲しい現実がある訳です。何故なら、先人に学ぶのが学問であり、それを否定することは即ち学問を否定するから。
 
 認知症は学ぶ事の最大のリスクだと思います。恐らく、学校教育が充実することで原因を作る。そして、歳を取ることで現れるのです。
 
 その原因は、学ぶという行動が脳をあまり使わないからです。普通に考えれば分かるのですが、学ぶという行為は他人の知恵を借りることであり、自分でその知恵を生み出すのと比較すれば、かなり楽な事なのです。
 
 しかし、多くの場合、その学ぶ行動を学校教育に於いて物凄くたくさん行っていることで、大変な思いをしているから頭を使っていると勘違いするのです。実際は、脳のレベルからすると殆ど使っていない。
 
 学ぶべき内容をすべて自分で考えだすとしたら、きっと、学ぶことの何10倍、何100倍の時間と労力が必要になると思います。もちろん、人間の脳はそれが出来る能力を持っている。
 
 そして、学ぶ癖のついた人間は、脳を使わない癖がつくのです。分かりやすく言えば、日常的に考えるのではなく学ぶ行動をしてしまう。こうして、脳の力を使わなくなるのです。
 
 その結果、脳が持つ本来の能力は不要となる。生き物の凄さは、その成長にあり、それは必要に応じてもたらされること。しかし、一方では不要になった能力は奪われるという定めになっているのです。
 
 こうして、使わない脳の部分は少しずつ奪われていく。その結果、脳が委縮し始めるという事です。それは、脳が退化し始めるという事なのです。
 
 学ぶという行為に専心することで、人は考えるという事をしなくなる。この情報社会於いて、全ての情報は用意されており、学ぶことで事足りるからそうなるのでしょう。
 
 因みに、学ぶとは記憶する事であり、考えるとは想像することです。
 
 そして、記憶することは、ある意味コンピュータが出来るほど簡単なことことなのです。しかし、人間はそのコンピュータを想像できる力がある。つまり、人間の脳はコンピュータとは比較にならないほど高性能なのです。
 
 しかし、学校で覚えることに専心したために、人間はコンピュータを目指すようになったのです。
 
 もちろん、記憶する能力だけ見ればコンピュータにはかなわない。だって、そういうものを人間が作ったのですから。
 
 そして、自分たちが作ったモノに準じたのです。ソレは、かつて自分たちが作った神に準じるのと同じように。準じるべきは、コンピュータではなく神ではなく、それらを想像した人間なのです。
 
 バカですよね。バカ丸出しです!
 
 返すコトバが浮かびません。こうして人間の脳は時間とともにどんどん退化していくのです。今や殆ど考えることが出来ない機械の様な人間が増えているのではないでしょうか?
 
 遠い昔、神の下僕となり、今やコンピュータの下僕となろうとしている。そして、事もあろうにコンピュータが人間を救ってくれると信じているかもしれない。まったくもって救いようのない人間と言えるでしょう。
 
 こういうバカな人間を増やしててはいけないと思います。この人間が持つ凄い能力を学校教育で潰してはいけないと思います。
 
 今起こる全ては、人間がバカになった証拠なのです。宗教教育から始まった学校教育によって、先人に学ぶことを教えられ、自分で考えることを忘れさせられ、誰かの下僕となるように仕向けられた結果なのです。
 
 我々は学びを捨てない限り、過去より良い未来を手に入れることは断じて出来ないのです。何故なら、存在した過去が最上であるから。そこから学べばそれ以上のモノを手に入れることは出来ないのです。
 
 いや、そんなことはない。この世界は学ぶことで繁栄してきたと信じたい気持ちは分かりますが、実際、この世界を照らす様々な技術や仕組みは、先人たちの想像によって築かれたモノであり、学びが築いたモノではない。
 
 そして、我々は愚かにも、その先人たちの成功を真似ることをやっているのです。それは常に時代遅れの骨とう品であり、そんなものが現在を良くし得る訳がないのです。
 
 先ずは、そのことに気づきましょう。社会が上手くいかなくなるのは、それを作っている仕組みに問題が出てきたという事です。要は先人たちの失敗によって引き起こされている。
 
 過去もそうであったように、現在に生まれてくる人たちは現在を変え得る力を持っているのです。環境が人を育てるから。だから、先人たちを学んではいけない。
 
 現在を生きる人が考え出さなければいけないのです。これを為すことが未来を創る事であり、これが出来なければ未来は来ない。つまり、我々人類は滅亡することになるのです。
 
 この極めて単純で分かりやす理屈を信じることが必要ではないかと思います。大事な理屈とは学んで得るモノではなく、自分で考えて導き出すモノなのです。
 
 恐らく、これまで学校教育を受けて育った人たちには、この意味も時代を切り開く力もないと思います。しかし、これから先を変える力はある。それは、この環境を変えることだと思います。
 
 これまで一生懸命勉強してきた人ほど、認知症になるわけで、それはこれから認知症になる人が殆どという厳しい状況をもたらせることになると思います。
 
 そして、それを防ぐ方法が、この学ぶ癖を今からでも変えていくことになるハズです。学ぶことでのリスクさえ理解出来れば、それは出来ると思うし、その結果、現在の環境を変える力も湧いてくることでしょう。
 
 色んな問題が色んな所で起こっているわけですが、それら全ての根幹にあるのは間違いなく学校教育なのです。それだけ多くの人に多くの影響を与えたという事だと思います。
 
 そして、その根幹を変えることで、未来は大きく変わり始めるでしょう。そして、私たちを取り巻く全ての問題は一気に解決へと向かうのではないかと思うのです。
 
 我々人間が作る人間社会を変えるには、そこに生きる人間が変わるしかないのです。そして、どう変われば良いかを各自で考えていくことが必要なのです。
 
 その行動が未来を創る。その社会に生きる全ての人たちの思いが未来を創ることを忘れてはいけないと思います。