通知表をやめた公立小学校、2年後どうなった? 子ども同士を「比べない」と決めた教員たちの挑戦 

 

 

 今の学校教育に於いて、通知表を止めるという事だけでも敷居が高いのが見て取れる。

 「通知表を止めるのであれば教科学習も止めようじゃないか?」となるまでには一体何年掛かるのだろうか?そして、その先にある学校教育を止めるには・・・・?

 

 いい加減、教科学習が何の役にも立たないことを気づくべきではないかと思う。それは、大人になれば誰だって分かる事。大事なのは常に物事の考え方ではないのだろうか?

 

 色んな問題に対してどういう風に考えどう解決していくか?

 

 まあ、それが人生というモノだから・・・

 

 そういう大事な事さえ教えていけば、人間はキチンと生きられる。キチンと生きられるという事は、物事を変えていく力を付けていけるという事。

 

 学校で、役に立たない教科学習に無駄な時間を費やした今の大人たちを見ていれば分かるが、問題解決能力が異様に低い。それはまるで幼稚園児レベルではないだろうか?

 

 人間が唯一平等なのは、与えられた時間であると思う。一日24時間という限られた時間を何に使うかが人生を決める。そこに将来何の役にも立たないバカげた教科学習に時間を費やすとどうなるかは説明するまでもないだろう。

 

 親であろうと教育者であろうと、子にとって何が大事かを知らない。何故なら、自分で考えて生きて来なかったからだ。常に教師や親の言う事を聞いて生きてきたから長く生きても分からないのです。

 

 そういう不安が、現状を変えられない理由だと思います。もう取り合えず、これまでやってきたことをやれば大丈夫などというマニュアル思考は捨てましょう。

 

 それは、そういう教科書教育と言うマニュアル教育によって付けられた思考であり、それを捨てるには学校教育そのものを捨てるしかないのです。

 

 誰かに教わって生きれる時代はもうとっくに終わっています。そして、そういう生き方をもし今でもしているなら、将来間違いなく絶望という憂き目に遭うでしょう。

 

 少なくても、幼い子どもたちにそういう風な人生を送らせてはいけないと思います。これから、縮んでいく世界に留まっていては、生きていくことは出来ません。

 

 その縮んでいく世界をぶち破る力が必要になるでしょう。それは、既成概念や常識を壊す力であり、そういう勇気を持てることだと思います。この世界に残された時間はそれほど長くはないと思います。

 

 急激な拡大をした世界が萎むときも急激なのです。この掟を忘れてはいけないと思います。早く備えれば早く対応できる様になる。本当は一刻を争うレベルかもしれません。