折角、新型コロナが治まりつつあるのに、いや治まりつつあるから、また騒ぎ始めるのかもしれないが^^;

 

 私の持論に、戦争を無くすなら国家を無くせば良いというのがある。平和主義者の多くは、国家があるから戦争が止められると思う人が多いのだろうが。

 

 人々を纏め集団を形成し国家を名乗れば、国民に対する教育が施される。そこで、国家の都合が良いように教育されるので、それに従順な平和主義者が生まれ、火に油を注ぐことになる。

 

 日本で縄張り争いに余念がないのは、ヤクザと官僚である。しかし、今や暴対法でヤクザは絶滅危惧種であり、残るは官僚だけ。

 

 そして、世界に目を向ければ、ウクライナでは、今もなお縄張り争いで多くの人たちが酷い目に遭っている。そして、問題はその状況に誰も何もできないということだろう。

 

 これが国家というモノの恐ろしさと言える。最後は誰も何もできない。流れに身を任せるだけ。それはまるで、糸の切れた凧の様。

 

 これが国家が施す学校教育の末路だという事です。他国と争う理由はいくらでもある。それはヤクザがそうであるように、長い歴史があれば何がしかの因縁はあるわけで。

 

 そうやって、争う理由はただ一つ。国家の威信というもの。威信と言えば聞こえは良いが、ヤクザで言えば顔ということになる。自分たちのメンツの為に争う。

 

 学校教育で優劣という評価に依って、人間の平等を根底から破壊すれば、人の上の人と人の下の人が出来る。そして、バカな人間ほど人の上に立ちたがる^^;

 

 それを煽っているのはもちろん学校。人間が争い合うように幼き頃より仕込まれれば、放っておいても人間社会の至る所で争いは起きるし、国家間に於いても企業間に於いても同じだと思う。

 

 ちっぽけな人間が、力の弱い人間同士が争い合ってどうする?

 

 と言っても彼らの耳には届かない^^;

 

 この21世紀という時代に、こういう現実がある事は誠に恥ずかしいことであり、一刻も早く無くしたいところであるが、学校教育で煽り続ける限り永遠になくなることはない。

 

 現実は、人間同士が争い合っている場合ではないんだけどね^^;