情報操作企業が、こういう事をやり出したら世も末である^^;

 

 情報化社会というモノが情報で溢れるのは当たり前であり、溢れた情報の取捨選択で人生が決まる時代となっている。これに拍車を掛けているのが学校で勉強させたことであり、勉強熱心な人ほど、情報に操られることになる。

 

 かつてネットサーフィンという言葉があったが、今や情報サーフィンと言えるだろう。しかし、如何なる情報を駆使しても未来は掴めないことは、私の本を読んだ方であればお分かりだと思う。

 

 情報というモノは誰かを動かす餌の様なものであり、それを駆使して上手に時代を生きることは出来ない。単に一瞬だけ上手く波に乗れるだけであり、しばらくすると波に飲み込まれて自滅するのがオチである。

 

 それでも、次から次へと長者が現れるから全体として上手く乗っている様に錯覚を受けるので、次から次へと飲み込まれていく者が生まれることになる。

 

 もちろん、その光景が公になることは殆どないので、上手く乗っている人しか見ない人たちは騙されることになる。

 

 かつて、情報を一元管理していたのは国家であり、北朝鮮を見れば分るように不都合な情報を隠せば国民を思うように操れるわけだ。

 

 まさか、情報溢れる情報社会ではそれは無理だろうと高を括っている人も多いだろうと思うが、情報が統制された世界であろうと溢れる世界であろうと殆ど差はない事は、先進国を見れは分かるのではないか?

 

 そして、こうした情報の最終的な目的は何かと言えば、人を孤独に追い込むという事になる。

 

 情報統制社会は、情報を与えないことで政府が国民を抑え込んでいるが、情報社会は、情報の氾濫を通して、色んな情報が溢れることで、国民同士の争いが生じ、国民を抑え込むことが出来る。

 

 力で抑え込むのか、それとも抑え込める結果を引き出すのかの違いであり、何れにしても国家の国民支配の構図は維持されることになる。

 

 そして、その構図を支えるのが、かつては大本営という政府広報であり、今やマスコミという政府広報になる。

 

 「こんなハズじゃなかった」と思う人生を送った人は、「自分で考えて行動しなかった」人であり、それは、情報に踊らされて自分の人生を見失った結果ではないかと思う。

 

 そういう人を減らすべく「倒幕運動」という活動を始めているが、そういうことが伝わるにはもう少し時間がかかりそうです。