古賀伸明氏 社会の中での役割を学ぶ「主権者教育」 


 ということで、今回は主権について考えてみたいと思います。

〉1国民および領土を統治する国家の権力。
〉統治権。
〉2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の
〉意思決定を行う権利。国家主権。
〉3 国家の政治を最終的に決定する権利。

goo辞書 には書いてあります。


 要は、国家という組織における最高権力で間違いないと思います。そして、憲法ではその最高権力者は国民だと言っている訳です。
 
 そして、ここからが問題であり、その主権を発揮するために国民の代表を選挙で選ぶという方法を取っている訳で、ソレを民主主義と呼んでいる。

 その結果、

〉政治的無関心となり投票率の低さにつな
〉がっている

 という状況が起こっているわけです。

 何故なら、国民に与えられた主権は分散されており、主権と呼ぶには程遠い無力な投票権にすり替えられているからなのです。

 そして、多くの人たちの主権は捨てられる。一票の重みという言葉に騙されているだけのこと。一票に重みなんて無いし何の力もないのです。

 皆が同じ生き方をしてれば、我々にとって国家は一つですが、皆がそれぞれ違った生き方をしてれば国家は一つとは言えないのです!

 言い換えれば、国家は違いを許さない組織と言えるでしょう。国家が一つと言うことは、皆に同じ生き方を強いている訳で、ソレが生きづらい世の中になる理由となります。

 国家とはとても古い考え方に基づいた組織です。ソレは皆が同じように生きるから出来た組織でもある。

 従って、豊かになり個人個人が違う生き方を目指すようになると様々な不具合が出てくるのです。その多様性の増加こそが人間の成長と言えるのではないでしょうか。

 しかし、多様性を叫ぶ人たちに国家を批判する人は殆どいない訳で、国家に上手いこと騙されていると思うのです。

 労働組合の長ですら、この単純な理屈が理解できない訳で、若者にリテラシーがないと言えるのが不思議でなりません(^_^;)

 多くの人が知らないと思いますが、戦後、我が国で主権者教育と憲法教育が義務教育過程で行われた時代が僅かにあるのです。

 しかし、憲法では禁止している自衛隊を作るために憲法教育と主権者教育は止めたのです。守られない憲法と、実効性のない主権。

 この2つが国家に主権がある事を証明していると思うのですが。もちろん、国家を牛耳るのは官僚であり、要は官僚国家であるという事です。

 国家の業績が悪くなろうと倒産することも首になることもなく、苦しむ主権者である国民を横目に平然と、そして、できる限り目立たないように生きている。

 色んなモノを剥ぎ取って行くと、国家に巣食うしたたかな寄生人たちの様子が見えてくるのではないでしょうか?

 それでも、国家を担いで不自由な人生を強いられる事に耐え続けていくべきなのでしょうか?