「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 


 日本で寺離れが起こり、世界でも教会離れが起こっている。宗教誕生から凡そ5,000年という長い時間を経てようやく宗教が終わろうとしていると言うことでしょう。

 しかし、実際は目に見えない神や仏を信じるのではなく、目に見えるお金という紙切れにすがっているのが実態であり、〜教という宗教から〜主義という理念へと形を変えたに過ぎないのです。

 ソレはきっと、人間が何かを信じることで初めて行動することが出来るからであり、生きていく道標として何かを信じようとするからなのでしょう。

 しかし、本当に信じるべきは自分以外の何かではなく自分自身なのです!そこに悪魔の付け入るスキを作ってしまうのでしょう。

 確かに、失敗ばかりで未熟で愚鈍でダメな自分を信じることは難しいかもしれませんが、ソレは飽くまでこれまでの自分であり、未来の自分ではないのです。

 人間の最も偉大なところは成長するという事です。最初は何も出来ない人間が成長して、何でも出来るようになる。

 子どもにはソレが分からないかも知れませんが、大人になれば誰もが経験しており分かることではないかと思います。

 今日の自分から見れば、昨日の自分がダメなのは当たり前であり、そう見えないようでは成長していないと言うことにもなる。

 ソレは今日の自分を明日の自分から見てダメに見えなきゃ、これもまたダメなわけで、そうなると見える自分は全部ダメに見えるのかも(^_^;)

 しかし、昨日の自分から今日の自分を見れば何がしかの成長に依ってよく見えるハズなのですが、ソレを見る目を持っていなければ永遠に見えないのです。

 昨日の自分の目は、今日の自分の目に常に更新されるので、よほど注意しなければ決して見えてこないのです。

 この現象が人間に自信を持たせないモノではないかと思うわけです。そして、今日の自分から過去を見て自信が持てないという当たり前に怯える。

 この悪循環を抜け出す方法は、明日の自分をイメージする他ありません。例えどんなに今日が惨めでも明日の自分はソレを克服している。

 明日は無理でもいずれ克服している。そして、ソレが出来るのが人間の凄いところであり、その為に明日があるという事を意識すべきだと思います。

 それさえ見れる目が出来れば、何かに依存することはなくなるのです。そうして我々は真の自由を手にできるという事です。