今や資本主義が作り出す過酷な競争社会で人々は日々競い合って勝つことに執心している。
大抵は、幾ら稼いだかとか、どんだけ偉くなったかと言った他人との比較で勝敗を決めており、その結果に一喜一憂した日々を送っている。
中には、そういう争いに疲れ離脱する者も増えているし、今ではハナからそういう争いに加わらないと思う人も居るだろう。
常に目先の勝ち負けに拘り、ソレをクリアする事で将来の大きな勝利へと繋げたいと思うのかもしれない。
そして、勝利の報酬として与えられるのが、地位と名誉と財宝となるのではないかと思う。私から見れば、そういうのを貰って喜ぶのは小学生の孫たちと変わりない訳で、子どもと呼ぶしかないかと。
当然ながら勝利で得られる報酬の陰で失うものもある。他人に勝つ為には人の何倍もの努力が強いられる訳で、その犠牲になるのは概ね家族となるのではないかと思う。
そして、もう一つ忘れてはいけないのは自分の時間である。仕事や研究に没頭する事は他人の為に使う時間であって、自分の為に使う時間ではない。
この世に、自分の為に使った時間に報酬をくれる者は居ないだろう。
だから、人間が成長出来ずに子どものままなのである。だから、一つのことに没頭でき他人より優れた成果を出せるのだ。
しかし、その成果とは裏腹に自分の人生は空虚となる。そして、犠牲にした家族は単なる他人と化してしまい孤独に追い込まれるのです。
恐らく、勝者と思い込んだ人間が、初めて知る敗北と言えるのかもしれません。でも、きっとソレを受け入れることは出来ないと思います。
だって、受け入れることは負けだから!
後は過去の栄光に浸って生きていくしか道はないと思いますが、そんな生き方ほど寂しいモノはないのではないかと思います。
そして、そういう人間の家族に与える影響も大きいのです。だって、栄光の印象が残るから。
その栄光を求めて仕事や研究に没頭する。それに家族は邪魔だから家族を持つことさえ止める。そして、結果を出し勝利すれば取り敢えず報われる訳です。
そして、先人と同じ結末を辿る。目先の勝利を追うことで未来を棒に振るのです。
そして、更に大きな悲劇が引き起こされる。
ソレが子孫が途絶えるという事です!
これまで何千年、いや何億年と生き続けてきた命の連鎖が切れてしまうのです。これこそが大敗と言える悲惨な出来事ではないでしょうか?
これまでどれだけの奇跡とどれだけの努力と頑張りで繋いで来た命の連鎖が、事もあろうに地位や名誉や紙切れに依って切られてしまうのです。
自分の命をどう扱おうと勝手だ!と思う人が多いわけですが、ソレは単なる無知の世迷言に過ぎないのです。
子ども以下の考えと言う他ないかと思います。
1万年前の先祖を想像して見てください。彼らがどれほど劣悪な環境で命を繋いで来たか。きっと、我々には想像できないかもしれません(^_^;)
そういう気の遠くなるほど長い年月の先に今の自分の命が存在している訳で、ソレを断ち切る権利を何人たりとも有していないハズです。
しかし、そういう事を意識する人は愚か考える人も皆無ではないかと思うのです。これもまた「学校で勉強するからバカになる 」悲劇と言えるでしょう。
つまり、本当の勝者とは生き続けること!この世に存在し続ける事だと思います。従って、我々は常に子々孫々の事を考えて行動すべきだと思います。
ソレが本当の勝利を目指す生き方であり、自分の為の人生を築ける生き方になるのだと思います。