〉「弱毒化につながる変異が日本のウイルスにある
〉ということはない。動物に感染させて調べないと
〉(確実なことは)言えないが、それを調べるほど
〉の変化はない」と否定した。

 重症化率や致死率がデルタ株では大きく下がったのは弱毒化とは言わないの?
 何で動物実験がいるの?ソレは何を見るの?

 何より、ウイルスの変異によって弱毒化した株の感染率が上がるというのは定説じゃないの?

 きっと、ウイルスが何故変異するか知らないんだね!当然ながら第5波が何故急速に低下してるかも説明出来ないよね。

 こういう人を専門家と呼ぶべきではないと思う。

 マスコミの印象操作報道の陰にはソレを支えるバカな専門家が控えている。きっと、人を肩書でしか評価できないバカさが諸悪の根源だと思う。

 問題は、イニシアチブが専門家にあるのかマスコミにあるのかだと思うが、専門家はバカなヲタクに過ぎず印象操作を企む頭脳はないだろう。

 そうなればやはり、マスコミが自分たちの印象操作に合致した専門家の意見を拾っていると考えるのが妥当である。

 もちろん、その背後に居るのはお金を出す国家である。

 そんな事はないと思う人が多いだろうが、ソレが資本主義の現実であり、仕事をする人は全てお金で動くというセオリーの為せる技と言える。

 ぜひ、ご自身が何故、クソ詰まらない仕事多大なストレスを感じながらも、やりがいのある仕事だと思い込んでやっている理由を思い出して欲しい。

 全ては、国家が何の根拠もなく好き勝手に刷っているお金という実際は何の価値もない紙切れを得て生きていく為である。

 何で、こんな価値のない紙切れに人生を吸い取られなければいけないのだろうか?って考えた事はないのだろうか。

 ソレを言っちゃおしまいよ(^_^;)

 って言う話だと思うが、その紙切れを命より大事にさせられる事こそ、国家がやっている印象操作の最高峰なのである。

 小さい事からコツコツと緻密に張り巡らされた知識や情報という人を動かす餌によってホモ・サピエンスをカネ・サピエンスに変えて自由に操るのが資本主義という名の宗教なのです。

 人は大きな変化には違和感を覚え抵抗しますが、小さな変化は受け入れる。私みたいにどこの馬の骨か分からない人間が「東大生はバカだ」と言っても拒否されるが、教授や専門家という肩書が有れば何を言っても鵜呑みにするのです。

 恐らく、学校教育が始まった明治5年には無かった事であり、この鵜呑みにする資質を植え付けるのに相当苦労したと思われます。

 戦前は、天皇を神に祭り上げ北朝鮮の様に裏では厳しい弾圧と情報統制をやらないと出来なかった訳で、それでも反抗する者は多かった。

 ソレは、今ほどモノが溢れておらず人々にお金に対する欲求が少なかったからであり、学校なんか行かずとも暮らして行けたからだと思う。

 ソレを払拭するのが戦争だったと思う。お金の為に動かない人たちも国家の為に動いた。そして、ソレを為せたのは天皇制ではない。

 国ではなく国家という言葉に依る印象操作である。国を自分が愛する家族が住む家と思わせる事で家族思いの真面目な人が引っ張り込まれた。

 駆逐米英、悪いのは日本の繁栄を邪魔する米英だとプロパガンダをマスコミを使って鬼のように繰り返すことで国家の威信を確保したのだ。

 本当は敗戦でソレが終わるハズだったのだが。国家の中枢は天皇制を残し再起を図ったのである。

 そして、いよいよお金が支配する世界へと向かわせられたのだ。夢のマイホーム、夢のマイカー等という今度は夢物語を煽られたのだ。

 そこからは誰もが、我を忘れては狂喜乱舞となっていく。夢の実現というモノが如何に魅力的であるかを証明した時代となった。

 そして、夢の世界が実現した訳だが、そこは想像も付かないアット驚く地獄であったとなっているのではないだろうか?

 多分、明治時代の人が見たら、さぞや21世紀の人間はみんなが幸せになって人生を楽しんでいる事だろうと思うに違いない。

 逆に、現代人が明治に行ったら何と思うのだろうと考えてしまう。幸い自分は半世紀前の記憶が残っている。

 もちろん、記憶とは美化されがちなモノで鵜呑みにするのは危険だが、世の中はもっと楽であったのは間違いない。

 インターネットは言うに及ばず、カラーテレビも電話さえも身近にはなく、医療体制だって陳腐であったが、その分おおらかで適当でのんびりしていたのは間違いないと思う。

 部屋には蛍光灯ではなく裸電球が食卓を照らしていた。今からすると随分と暗い室内だと思うが、暗いと感じたことはない。

 学校は勉強するところではなく、不味い給食を泣きながら食べる修行はあったが、それ以外は休み時間に何して遊ぶかしかなかった。

 もちろん、先生にはしょっちゅう叱られ、よく殴られてもいたが、そんな事を気にする親はなく、当の子どもも明日になれば忘れていたと思う。

 勉強が出来る子はガリ勉とバカにされ、勉強が適当に出来る程度でスポーツが得意である事が大事であった。

 みんなが仲良しではなく、子ども同士でよく喧嘩はしたがイジメと呼べる様な陰険な事をする子どもは記憶にない。

 家に帰ると近所では子どもが溢れており、遊び相手を探す苦労はなく夕飯まで目一杯遊んでいた。帰宅するとご飯を食べて風呂に入って直ぐ寝ていたと思う。

 まあ、少なくとも小学校時代に勉強した記憶は殆どないのである。親にも勉強しなさいと言われた記憶がない。

 別にそういう時代が良いと言っているのではない。現在との比較をしているのです。我々は一体何を得て何を失ったんだろうか?

 そして、大事なのは得たモノではなく失ったモノではないのかと思うのです。何故なら、得たモノは見えるので分かりますが、失ったモノは見えないので分からないのです。

 そして、何事もそうなのですが分からないほど怖いことはないのです。放射線しかりウイルスしかり。そして、一番怖いのは永遠の謎である「死」だと思います。

 放射線やウイルスが怖いのは「死」に直結するからであり、ソレを煽られることで我々は操られるのです。

 しかし、「死」とは今に始まったことではなく、人間誕生から、いや生命誕生から始まっている事であり、私達が今日ココに立っているのは、その無数の「死」があったからではないのでしょうか?

 もし、自分だけが死ぬのであれば異常に怖がることもやむを得ないですが、全ての人に、いや全ての命に平等に分け隔てなくやって来るのです。

 従って、「死」は恐れるべきものではなく、笑顔で受け入れるべきモノではないかと思います。そして、そういう風にできる様に生きなければいけないのです。

 その為には、自分がどう生きればソレが出来るのかを考えるしかないのです。多くの生命体で人間だけが「死」というものを知っている。

 だから、ソレを乗り越える為の優れた頭脳を得ているのだと思います。その優れた頭脳をフルに活用すれば誰だって出来る様になっている。

 ぜひ、その事を忘れないで頂きたいと思うのです。ホモ・サピエンスは生命体史上最も賢いのは、最も優れた頭脳にあるのです。

 そして、その頭脳をくだらない事に使うのは止めましょう。くだらない事に使うからくだらない世界が出来るのです。

 その間違いに気づいてください。現実はソレを気づかせる為にあるのだから!