〉子どもを心理的危険状態に追い込むストレス
〉要因は、叱責、校則、体罰、対人関係、部活
〉動、通知表、宿題、テスト、偏差値、平均点
〉受験など、いくつも考えられる。

 こういう要因を無くすには学校教育を止めれば良いんだけどね。

 何故、子どもの成長を阻む日本の学校教育とタイトルに書いているのに、その学校教育を維持しようとするの?

 頭悪いよね(^_^;)

 と言うより、維持したいのは学校教育に関わる教員の雇用じゃないの?

 結局、学校教育は受ける子どもたちの為にあるのではなく、教える教員の為のものなのさ。日本の学校教育が本格的に狂いだしたのは田中角栄が教員の給与を上げてからだからね。

 それまでは、もっとおおらかな教育だったと思うよ。

 給与が上がれば、当然、成果も要求され、その結果として、点数主義になったからこうなったんだよ。そして、教師は追い込まれ狂ってしまった。

 そういう環境でまともな教育ができるわけない。そういう状況で教育改革ができるわけがない。色々やる度にどんどん狂って行くのが関の山だよね。

 全ては「学校で勉強するからバカになる 」事でおかしくなるのさ。勉強しかしてない官僚が教育に携わると国は潰れる。


 今やそういう危機的状況になってるのは、世の中を見れば分かると思うよ。官僚ほどメタ認知能力のない人種はいないから。


 勉強する、学ぶと言う行為はメタ認知能力を下げると言うことを証明する事象だと思うよ。


 何故、人を学ばせるのか?或いは、学びは何処で始まったのかを振り返れば分かると思うけどね。


 ソレが分かる人は少ないと思うから、書いておくことにする。


 学びの、いや教育の原点は宗教教育なんだよ。教会で信者を信仰心を高める、或いは、信者を増やす目的で行われたのが始まりなのさ。


 だから、今でもそういう宗教系の学校が残ってるよね。つまり、信仰心を植えつけるということは、メタ認知能力を排除する事が目的なんだよ。


 自分を俯瞰的に見れる人は信仰に溺れることはない。だって、宗教の持つ考えは俯瞰的ではないからね。


 コレが分かれば、その派生としての現在の学校教育は、如何なる信仰心を植え付けているのか?が気になるよね。


 ソレが、資本主義という名の宗教なのさ。その中心にある念仏は「豊かになれば幸せになれる」というもの。


 かつての身分制度や階級社会を根底から覆す理想の宗教だったと言える(^_^;)


 誰だって、努力次第で偉くなれる、金持ちになれるという光輝く教えだよね。まさか、その教えが人間を蝕み人間を滅ぼす呪文だとはお釈迦様でも気づかないよ(^_^;)


 綺麗な花には棘がある という言葉がある様に、見た目の良さを鵜呑みにするのは危険だという事なのです。


 大事なのは中身であり、結果であろうと思います。どんなに素晴らしく見える世界であっても、それによって、そこに住む人間が健全で無ければ、それを捨てなければ行けないのです。


 仮に、ソレを築くのに如何なる苦労を経たとしても。この世における最も貴重な時間と労力。多くの人は、ソレを無駄にしたくないと思います。


 しかし、我々人間は神ではないので間違うのです。そして、間違った結果をもたらす事は無駄ではないのです。


 間違えたらやり直せば良いのですから!


 最もいけないのは、その間違いを認めず、その間違いを改めない事です。だって、その先にあるのは破滅だから。


 過ちを改めるのに憚ることなかれ!


 という言葉がありますが、これこそが真の正義であり、我々が悔いなく生きる秘訣ではないかと思います。そして、ソレを当たり前のように出来る者が賢者であると思います。


 もう、他人の間違いをバカにする様な愚かな言動は止めましょう。ソレは天に唾するのと同じことです。


 我々人間は普通に間違うのです。間違うのは日常茶飯事であり当たり前の事です。テストで100点取れても間違うのです。


 だから、常に間違うことを前提に注意し策を講じて無ければいけない。それが無いことを無謀と言うのです。


 従って、間違えないと思う偉い人は無謀なんです。今や世界がこうなっているのは無謀である証拠だと思います。