〉“学ばない”無能な指導者
 
 逆だよ!
 学ぶから無能になるのさ。
 
 無能になりたくなければ「学校で勉強するからバカになる」という本を読むと良いよ。学んでバカになるメカニズムが分かるからね。
 
〉哀しいかな確たる理論も持ち合わせず、
〉未だに鉄拳を用いる指導者が存在する。
 
 これが、かつての日本の教育スタイルって事は多くの人が知ってると思うけどね。戦前までの軍隊教育の名残り。
 
 では、何故そういう古いやり方が21世紀の今日残っているかと言えば、当時と変わらない学校教育の賜物なのさ。
 
 学ぶとは真似ることだよ。学校では先生の言う通りにしなさいって教わるよね。だから、そういうバカげたやり方が続くのさ。
 
 コレを止めるには、残念ながら皆の大好きな学校教育を止めるしかないんだよね。
 
 もし、ソレが出来ないと皆死ぬよ。だって、学びの先に有るのは絶望だからね。絶望してる人増えてない?
 
 無能になると絶望しかないのさ。もし、貴方が絶望に苛まれているとしたら、ソレは学んだからだよ。
 
 学びとは麻薬と同じなんだ。最初は知識が増えることで優越感を覚え、ソレが更なる学びを欲するんだよ。
 
 そして、ソレがどんどんエスカレートしていく訳だ。そういう人は、大抵、学者とか教授と呼ばれるけどね。
 
 しかし、学ぶという行為は、自分を消す行為でもある。だって、学んだ分他人の考えを取り入れている訳で、その分自分の考えは捨てている訳だから。
 
 だけども、アインシュタインにはなれない。誰かを真似ても決してその人にはなれない。しかし、そう気づいた時に、もう自分は居ないのさ。
 
 この事に、死ぬまで気づかなければ良いのだけど、もし気づいたらその喪失感は計り知れないモノがあるだろうね。
 
 だって、自分の人生がないのだから!
 
 コレが学ぶ事の怖いところなんだね。人は自分という存在がないと生きれない。いや、生きることは出来るが幸せにはなれない。
 
 コレは地獄のような苦しみをもたらせるんじゃないのかな?だから、人をそうさせちゃダメだと思うので、こうやってブログを書いているのです。
 
 どこの馬の骨か分からないジジイに何が分かるんだ!と思われるでしょうが、むしろ、社会的に何の肩書も成果も出せていないから見えるのです。
 
 結局、そういうモノが人間の目を狂わせるということではないかと思います。真実を見たければ全てを捨てれば良いと言われるのはそのせいだと思います。
 
 昔の高僧は、そうやってたみたいですが(^_^;)
 
 何かを得るというのは、その陰で何かを失っている事に気づくべきです。だって、我々が苦しむのは、失ったモノのせいだから。