〉豊かな消費社会を裏で支える犠牲

 今や豊かを通り越して過剰な消費社会となっている。消費が増えていかないと資本主義は機能しないからだ。

 しかし、そういう過剰な消費社会も限界が近づいている。ソレは言い換えれば資本主義の限界であり、エシカル消費を目指す上でも、人間社会の健全化を図る上でも、資本主義との決別を急ぐ必要がある。

 その為には、資本主義を捨てることで得られる社会を示す必要がある。資本主義を捨てるとは貨幣経済を捨てることで、要はこの世界からお金を排除すること。

 しかし、そういう社会を我々は既に見たことがあるのです。ソレは大震災等で被災した時。人を助けようとする思いで全ては賄われるのです。

 キーワードは「優しさと思いやり」

 自分たちが食べる肉を提供する動物たちを思う生き物は人間だけなんですよ(^o^)

 これこそが人間の真骨頂。そして、社会を変えるキーワードだと思います。

 実は、人間だけが持つこの「優しさと思いやり」を奪うのが学校教育なんですよ。

 人に善悪という不要な活感を与え、何の約にも立たない教科学習で優劣を付け、他人を敵と思わせ他人と競うことを迫るのが学校教育なのです。

 この過酷な競争社会の火付け役。だから、私は諸悪の根源と称しているのです。

 学校教育で賢くなったと思われる人間たちは、必要以上にお金を得るために必要以上にモノを作り、必要以上の労働に明け暮れた割には、目指したお金を得ることもなく、それよりも目指した人生を得られていないという体たらく。

 もちろん、愛する者はなく、当然、愛される者も居ない。ただ上辺だけの友人知人にいつ裏切られるか分からない同僚に囲まれ、死ぬまで自分たちが作り出した必要以上の労働に苛まれていく。

 学校は、こういう人を賢い人だと思っているのだろうか?

 きっと、そうは思っていないだろう。自分たちは、そういう思いで教育していないと思うはずだ。だから、悔い改める事が出来ない。

 そして、人間社会が壊れても変えることなく、人類滅亡を引き起こすのだ。最悪という言葉では語れない話だと思うよ。