内覧に行く前に西成区について調べたとき、凄まじい映像を見てしまい西成区にネガティブなイメージを持ってしまい、それが拭えないままでした。
拭えないままでは西成区で仕事ができないと思い調べてみることにしました。
大阪は豊臣秀吉の時代は日本の中心都市。そのため街の中に各所に歴史的な跡地、文化、が溶け込んでいることがわかりました。そういった場所は西成区にもあり、地名は古くから残っているものが多いです。例えば天下茶屋という地名。この天下茶屋という名前の由来は天下を統一した関白・豊臣秀吉が住吉神社を参拝した際に立ち寄りここの茶店から清泉を汲んできて千利休に茶を点てさせたところ、味の良さに感激。茶店の清泉に「恵の水」の銘を与えた。そこから関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などの名が付き知られるようになったとされています。
次に住吉街道(住吉街道)は名前が戦国時代の文献に載っているほど歴史がある地名です。大阪から泉州、紀州両国の往復路として重要な街道で、豊臣秀吉が住吉神社や堺政所に往来した道で、その頃の街道は風景も素晴らしい道として親しまれていました。
その後、この街道は、恵美須町から天下茶屋・住吉・安立を経て堺・和歌山へ至り、明治には国道29号紀州街道と言われ主要な道路であったと記されている。
こういった由緒正しい地名がある西成区でなぜあのような映像のようなことが起きたのかますます興味がわきました。