難病2年生になりました
2018年7月19日(木)
やっと病名がわかりました。
前兆だったのかな?と思われる経過から書きます。長くなると思います。すみません
6年前(2013年5月頃)から体重がちょこちょこ落ち始めて、その年の11月頃から急な嘔吐、急な発熱、急な下痢や腹痛などなどいろんな不調が出始めて、この時は普通なら効くはずの薬も効いてるのかよくわからない感じでした。
この職場は人間関係もすごく良く、お客様も優しくストレスなんてなかったはずだし…
でも残念だけどこの時の仕事は辞めました。
辞めることを機に右手の手術をしました。
この時の術後熱、完全に解熱するまで1週間かかりました。
関節鏡のちょっとした傷で簡単な手術だったのに…
それから今回は完全に動かせるようになってから仕事をしようと思っていたのですが、普通に生活ができるようになって来たころに貯金も底をつき、一緒に仕事してた人が違う店舗に移動して仕事してたのでその人に空きがないか聞いてもらって、不調もだいぶ落ち着いていたので2014年7月から店舗を変えて同じ仕事を始めました。
職場までの距離、往復で50km…
朝は行くのに1時間…
通勤だけで正直疲れてました。
交通費だって月5,000円しか出ないから割に合わず…
それでも仕事だから仕方ないと思い頑張って仕事へ…
何日か行ってる間にイジメ?られるようになりました。
以前の仕事内容と同じだから新人だけどできる。
これが気に入らなかったのでしょう!
仕事中咳喘息の為のマスク着用とTFCC損傷の為の手首にテーピング固定や薄めのサポーターならと許可もらって付けてました。
それも気に入らなかったのでしょう!
一緒にレジに付いてくれる人から許可をもらえと散々言われました。
手に負担のかかる仕事、埃っぽくなるような掃除全部やらされました。
話しを付けてくれた人が新しく入って来るけど、手首とか身体弱いから負担は減らすようにと言ってくれてたみたいです。
それでもです。
みんな大人気ないですよね…
そんなストレスが積もりに積もって、入社して1ヶ月で辞めたい病になり、辞めたい行きたくないを言いながら出勤してました。
中にはすごく良い人もいたんですけどね。
まぁこのストレスが後々今の病気の原因かもなんて言われるとは知らずに、なんとかお金の為と思いながら続けてました。
入社して2ヶ月くらい経過した頃からまた体重が落ち始めてました。
食欲も落ちほとんど食事は取れず体重は減る一方。
レジに立っていてもめまいがしてフラフラしながらレジ打ちしてたり、下にある袋を取るのに座って立ったら立ちくらみとかしょっちゅうで、食べなきゃダメだなぁ〜栄養足りてないんだろうなぁ〜なんて思いながらも食べられず…
そんな体調もどんどん悪化。
レジで吐き気がして座り込んだり、なんとかレジ打ちしててもお客様にも顔色すごく悪いけど大丈夫?なんて心配かけてしまうほどに…
ほぼ意識も飛んで朦朧と気力でレジ打ちしてよく間違えなかったな!と自分でも思うくらい。
一気に熱が上がってるのもわかるくらいの時も度々…
その時はまたお客様から顔真っ赤だけど大丈夫?熱あるんじゃないの?なんて心配されたり…
お客様に心配かけるとかダメダメ従業員ですよね。
体調悪いから休憩室で少し休ませて欲しいと言っても休憩以外に休憩はできないからムリ!って言われて仕方なくレジを続けたり、限界のときは前後のレジの人に気持ち悪いからトイレにいますと伝えてトイレにこもったり…
そんな感じで続けながら、熱が出れば病院に行き〜吐き気があれば病院に行き〜で病院に行くことも増えました。
看護師さんからもまた来たの?なんていわれることも…
でもその度に風邪でしょう!胃腸炎でしょう!で終わり、職場に胃腸炎と言ったところで休ませてもらえず出勤。
ヘルパンギーナにもなったとき、移るみたいなんですけどと言ってもマスクしてるんだし言わなきゃわかんないんだからと出勤。
そんなこんなでずっと体調悪いままの出勤でした。
入社年の11月。
もぉ限界で退社しました。
勤務期間たった5ヶ月だったけど、体重6kg減少。
退社したあとも体重減少は止まらず、吐き気続きで食欲もなく、とりあえず週3くらいで栄養と吐き気止めの点滴通い。
今思えばこの頃のこの症状は毎回、副腎不全的な感じだったのかなとか思ったり…
急な吐き気・嘔吐
急な発熱(グングン上がってるのがわかるくらいに悪寒で一気に39度とか…)
急な腹痛・下痢
めまい・立ちくらみ などなど。
個人病院だから細かい専門的な血液検査もしてもらえてなかったし…
母が甲状腺機能亢進症だからと甲状腺だけは調べてくれたけど異常なし。
結局1年間で約20kgの体重減少。
辞めたはいいけどまた収入0になり、どぉしよう?でもこの状態で仕事なんて無理!ってなってたときにエレクトーンを習ってたおかげでヤマハでバイトしないかと声をかけてもらい、体調に合わせてで大丈夫だからと週2でバイトを始めました。
でもそのあとも体調不良はずっと続いたまま。
それにレジの仕事で手首を使い過ぎてたのもありまた痛みが強く感じるようになってて、2015年4月に尺骨短縮術をすることに…
看護師さんたちからもあまりのガリガリ具合にみんなにビックリされた。
この時も術後に熱が続いてたり、急に吐き気がしてご飯食べられなかったり、術後1週間も経ってるのに急に高熱が出たりと、看護師さんたちもなんだろう?前回も熱続いてたし麻酔に弱いのかもね〜なんて言われてたけど、今思えばこのときもコルチゾールがきっと出てなかったからなのかな?と…
今思えばあれが副腎不全だったってこと?って思うことは多々あります。
それから個人病院では精神的な物だろうとして処方された鬱にも効くし胃薬にもなるしって言うスルピリドって薬で、食欲旺盛になって体重もめっちゃ増えて元気になり点滴も終わりになりました!
そんな感じで元気にはなったけど、尺骨短縮術で骨くっついてないから仕事もできないし、車も運転できないし〜で家にいることが増えたから風邪を引いたりはよくあったけど前ほどの体調不良はなくなり、なんだったんだろ?ストレスかなりあったんだなぁなんて思ってました!
でも2016年7月に珍しく頭痛いなぁって思う日があって市販の頭痛薬飲んでみたけどいつもなら治るのにこのときは全く効かず…
その日から毎日あれ?今日も痛い。って感じるようになって1週間が経ちいつもの個人病院へ。
風邪薬の処方をされた。
飲み切って様子見てもまだ治ってない…
熱も続くようになってたからまた風邪薬の処方。
を3回くらい繰り返して、そのあと偏頭痛の薬に変えても効かず…
で、提携してる総合病院でMRI・MRA検査を受けることに…
異常なし。
結局、頭痛薬飲み過ぎても効かなくなるから痛いときだけ飲むようにと頓服にされたが、痛くないときがない!いつ飲めばいいの?と思いながら処方されたの粉薬だったけど頑張って飲んだら激苦の激マズで効かないこともわかったからそれ以降飲むのもやめた。
それからも頭痛・微熱は続いてたけど、夏で暑いから自然とこれくらいの体温にはなるよ〜と微熱は相手にされず…
頭痛が出て1ヶ月後痛過ぎて動けなくなり大学病院の神経内科へ紹介されたが、紹介状にも頭痛のことだけが書かれた。
その日のうちに一般的な血液検査と髄膜炎疑いでで髄液検査をしてくれたがどれも異常なし。
慢性化して続いてるってことで、慢性連日性頭痛と診断されたが、何を処方されても効果なし。
それから働くこともなく頭痛が続いたままプレート抜釘術と関節鏡での部分切除術を同時に受けたが、またまた熱が下がらず看護師さんたちを悩ませてました。
それから毎日毎日頭痛は続きほぼ寝たきりに…
それから2017年6月から総合診療科にも通院するようになったが、通院始めて1ヶ月後の翌月7月にとんでもないことをされた。
その後精神神経科のみの通院となったが、いつもの個人病院の先生にも相談して違う病院への紹介状を書いてもらった。
2017年10月からこの病院に通院し始めた。
大学病院の精神神経科は11月で終了にして完全に大学病院とはさよならした。
新しく行き始めた病院では初診日に一般的な血液検査の他にもホルモン検査もしてくれて、その時にコルチゾールがすっごく低いことがわかって、すぐにACTH負荷試験となった。
やっと楽になれるんだと思ったけど、薬に反応して数値上がったから大丈夫👌と先生の勘違いで異常なしとされた。
でもせっかくだからこのまま経過を見させてくださいと先生から言われお願いした。
変わり映えのない体調に変わり映えのない診察と処方薬。
正直遠くまで二週おきに通院して何も変化ないじゃんて思ってた。
そんな感じのまま、2018年5月に右手の手術時間5時間半の大手術を受けた。
術後の経過はいつもと同じ。
熱下がらない。解熱しても急に上がる。それから熱が続く。
食欲無くて食べられない。
気持ち悪い。
頭痛酷い。
動けない。
でも看護師さんたちもいつもだもんね!と特に疑問視なし!
7月上旬頃、手術した側の右手が激しく震えるように…
震えたら大変だからと止まってても薬はずっと1日3回で量を増やして飲んでいた。
なのに震えが出てもちろん激痛に!
病院行けば注射でも点滴でも何かしらで止めてくれるんじゃないかと、予約外で病院へ行った。
予約外だから主治医が外来出てる日だけど初診担当の医者へ….
なんでいるのに違う医者なんだよ!って母と文句言ってたけど、この時この先生に診てもらえて本当に良かった!!
震えをどうにかして欲しくて行ったのに結局震えのことでは無く、コルチゾールの低さに話が行ってしまった。
○○さんのカルテ見させてもらってたんですけど、コルチゾールの低さが気になったのと負荷試験でも反応してるけどこれでも低いんですよ。
と言われた。
震えどうこうよりもコルチゾールの方が先生にとっては重要に感じたみたい…
5日後に予約入れるのでまた来て震えの様子とか診させてください。主治医とも相談しておきますので。
と言われ、病名がわかる2日前に受診した。
前回の先生に呼ばれて診察してもらい、やっぱり調べたんですけど、コルチゾール反応しきれてないのでまた負荷試験をした方が良いと思います。主治医にもこのことは伝えてあるので、今から外来に来てもらうのであとは主治医のほうと相談してください。僕の診察はここまでとさせてもらいます。
と病気発見をしてくれた先生と言っても過言ではない!神です!!
この先生にかかってなかったらどうなってたんだろう?
今もそのままか不調続きで主治医が仕方なくまた検査をしたか…
私はそのままだった気がする。
そのあと主治医に呼ばれて話しは聞いてるよ〜
反応したから大丈夫って思ってたんだけど、数値勘違いしてて低かったんだゎ!でね、今回は下垂体の上の視床下部ってところを刺激するCRH負荷試験をやろうと思います!やり方は前回と同じで薬剤が変わるだけ!明後日予約入れるから8時半までに来てください!それでその震えはちょうど明後日、神経内科の先生が来るからそのときに診てもらおうと思うんだけど、前に行ってた大学病院で担当だった先生なんだけど予約入れていいかな?
って言われたけど、別に神経内科の先生が悪いわけじゃない!悪いのは総合診療科だ!って思ってOKして、2日後に受診しました。
朝からの負荷試験をやって2時間くらいで検査は終わり、結果待ちをして神経内科に呼ばれました。
お久しぶりです。と挨拶をして、ここでも出た!震えは精神的なもの。でもずっと病気があるのに見つけてあげられ無くてそのストレスだったんだろね。原因もやっとわかったし、止まると思うよ!詳しくは主治医から聞いてね。この先生はすごい内科医だから大丈夫だよ!と…
ホントかよっ!って思ったけどね〜〜
何も検査しないで見つかればラッキーだねとか言ってるやつがすごい?嘘だろ!って思ったけどね〜〜
ついでに総合診療科で点滴してから足も手こぉなったんだからそのせいでしょ?って言ってやったけど、そうだねとは一切言わなかった。
そのあと主治医から診察があり、やっと診断名が付きましたー!なんて自分のお手柄のように言ってたけど、予約外のときの先生のおかげでしょ⁈
この時のコルチゾール0.6
負荷をかけても1.0
ほぼ反応なし。
よく何もなくここまで耐えたね。
って何回も不調訴えたし、前回のACTH負荷試験のあとも薬入れてコルチゾール値あがったのに放置でいいの?って聞いたら反応してあがったから働いるってことだし大丈夫って言ったんじゃん!って思いながら話しを聞き、
これは副腎機能低下症で申請出す時は下垂体前葉機能低下症のACTH単独欠損症って病名になります。
と淡々と紙に脳とか副腎の絵を書きながら説明され、
その時の紙
申請って何?って聞いたら簡単に、あっこれね難病でね国の指定難病に登録されてるから申請すると医療費が安くなったりするから、入院ってなったりしたときはあると良いと思うけど、絶対に審査に通るわけでもないし、書類もお金かかるし自由だから〜とポンポンポンと話しをされて、頭の中はになり、とりあえずソーシャルワーカー?さんから詳しくは話し聞いてみて申請出すか決めていいから〜申請するなら書類窓口に出してってくれれば書いておくし!ってことで、
長くなりましたが、難病とわかってから1年がたち、2年生となりました
その日からコートリルの補充療法が始まり激苦には未だ慣れることなく飲んでいます。
始めの5ヶ月くらいは日数分しか処方されず頓服がなく、年末に高熱を出したときに3倍くらいの量は飲まなきゃダメだよ!副腎不全だよ!良く何事も無く生きててくれて良かったなんて言われたけど、頓服用もらってないし聞いてなかったって言ったら、そうだっけ〜なんて惚けられてそれから頓服も出してくれるようになり、なんならコートリル増やさず9月に手術も受けたし…
それで今年に入って転院したいと希望したら、今まで診察してきた中で副腎不全の症状もなかったし、内分泌に行っても補充療法やめましょうって言われるかもしれないし通院すらやめましょうってなるかもしれないけど、それは知らないよって冷たく言われたけど、ちゃんと補充の仕方とか詳しく説明してくれるし、なんなら糖尿管理までしてくれるし良かったゎ
追加しすぎ!ってこの前言われちゃったけどね〜
2年生になったことだし、コートリルをもっと上手飲み込めるようにして苦味を口に残さないように頑張りたいです