父のお葬式が昨日終わりました。

現実のやることに追われながら、急に寂しさに襲われたり

次々と場面が変わり、この世の不思議さ儚さ、人間界の法則性を経験していたような…

そんな1ヶ月でした。

“あーすれば良かった”
そんなことは今になるとたくさん有るけれど、これがベストだったのかも、とも思う。


昨日のお葬式
祖父母の時からお世話になっているお寺さんのお言葉に納得した
「生きている時、何かわだかまりが有って近くに行けないことが有る。
だけれど、娑婆との縁が切れ仏様になると、近くに感じられるようになるもんですよ。」


父に抱かれているのが私
横で笑っているのが3歳上の姉
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ここ数年、お父さんのことを考えることなどほとんどなかった。
一年前、母から「抗癌剤治療が始まるから、覚悟はしておけ」と言われた。
その時、姉からは「お母さんから聞いたとは思うけど、悔いのないようにね」
それを聞いても、そんなことがある訳ない、と信じることもなく、自分のことばかりしていた。

自転車で5分の近くに住んでいたのに、用事以外は足が遠のいていた実家

たまに行って何も言わず帰る私に
「お父さんに挨拶してらっしゃい!」
母親にいつも注意され、「元気?また来るね」一言の挨拶。


おじいちゃん大好きの子ども達は、塾帰り毎週実家に寄って、ご飯を食べて帰って来ていた。
何をするわけでもないのに、一緒にテレビを見てたり、コンビニへ行ったり
おじいちゃんの存在は子供たちには最高の憩いの場だったのかもしれません。

お葬式が終わって実家に戻り、父親が過ごしていた部屋に1人入り、
初めてゆっくり父親の部屋を見ました。

孫達4人の写真、旅行へ行った時の写真、巨人軍のポスター、囲碁や競馬新聞
好きなもので囲まれていました。

戻って来たかったであろうこの部屋
「また家に戻れるか?」聞いていたそうです。
孫達も大好きだったおじいちゃんの部屋

いつも座っている父がいないこの現実


が!!
寂しいことは事実だけれど、比較的元気でいられるのは、
亡くなった翌日、ある方に名前を見てもらいました。

私の本名は『壽子(ひさこ)』
どなたかに見てもらって付けたらしいのですが、その辺りが定かでなかった。

『壽子』は漢字も難しく、なぜこの字を選んだのかずっと疑問だった。
お父さんが役所に届けたというので、いつか父に聞こうと思っていたら、いつの間にか何も話せなくなっていて、聞くことも出来なくなっていた。

それが亡くなった翌日上先生にお会いして、解決したのです!


漢字の形や意味から見てもらい、父の名前『博』との関係性
お父さんの性格を受け継いでもいるこの名前
さらに父とは違った私のオリジナルしか出来ないこと等々

意外だったことは
「お父さん、あなたのことが可愛いくてしょうがなかったんですよ」
そんなこと思ったことがなかったからビックリ(゜o゜)

『壽子』は本当に今の私そのもの

父に尋ね聞きたかったこと以上に教えてもらえ
さらに自分へのエールにもなりました。
※嬉しくて、後から記録しておこうと思ったのに具体的覚えていない・・・
録音&メモしておけばよかった(゚_゚i)

魂は覚えていると信じ(^v^)


上先生に会わせてくれたのも父のおかげのような気がしてカナヘイきらきら

感謝でいっぱいになり、自分の名前がさらに好きになったのでした。


今の現実をしっかり受け止め
この名前に込められた父からの想いを胸に悔いない生き方していきます。