以前に書いたことだ。音楽が溢れている環境では、聴きたい音楽を取捨選択できるので、好き嫌いができると。でもそれは、時間の経過や状況の変化で変わるので、毛嫌いする必要はない、と。時が経てば、好き嫌いにも変化が生じると。では、音楽に良い悪いはあるのだろうか。



一般的に、意志をくじくような、つまりマインドコントロールするようなものは、情報操作という観点からも悪いとされている。フツーはそう思う。オレもソー思う。しかし軍歌はどうだ。戦時中、戦意高揚のため軍歌もしくはそれに準じる歌曲以外は聴けない状況があった。人々は否応なしにその音楽を聴かされていたのだ。そんな状況を乗り越えて今の日本があるのだ。では、その状況の中を生き抜いてきたヒトは今、その音楽を聴いて涙を流すのではないか。二度と聴きたくない、と思うヒトもいるだろう。しかし、純情な青春時代に友と枕を並べて聴いた音楽は甘い感情を呼び覚まし、聴くヒトにカタルシスをもたらすのではないか。それを悪い音楽と他人が断定できるのか。




このように、音楽はヒトの意識をコントロールするチカラを持っている。ウソだと思うなら今の日本の状況を考えてみればいい。誰もがみな、恋愛バカだ。ラヴソングがマーケットを席巻し、悲しいことにそれが売れてしまうのだ。あのヒトとの想い出の歌だから、といってその歌を新しいパートナーの前で、堂々と唄う。切ない、悲しい、この苦しさを癒してほしい、といってカラオケでそんな歌を下手糞が唄う。そんな奴らに軍歌の世代をバカにする資格はない。




音楽は生活に直結するから、上記のような現象が起こる。音楽そのもののチカラ+環境が、音楽の好みや、良し悪しを決めてしまうのだ。これは音楽という純粋な芸術にとっては不幸なことである。そこでオレはひとつの考え方を思いついた。オレ独自の視点である。



音楽そのものの良し悪しを問う基準、それは「その作品が100年後に残っているかどうか」だ。例えばイーグルス「ホテルカリフォルニア」は残る、しかし「ロングラン」は残らない。中島みゆき「時代」は残るが「彼女の生き方」は残らない。クラシック古典派ジャズのスタンダード曲がのこっているのは、時代の変遷にも生き残るチカラをもっていたからだ。それに比べ、今の時代の演者、作品はどうだ、あぁん、まったく血が通っていない。「彼女の生き方」なんて血まみれだ。なのに100年後には残らないことが、オレには判る。




音楽に生きるものとしては、そこまで残らない作品を重視しながら、100年作品を見つけるべく老眼の目を養っていきたいのだ。