1902年 - 1979年
ニューヨーク州ロング・アイランドで、医者の息子として生まれた
コロンビア大学に進んだリチャードは、大学のショーのための作曲を数多く手掛けているうちに、1919年17歳の時、同じコロンビア大学の卒業生でもあるロレンツ・ハートと運命的な出会いをする
ロジャース&ハーツ
そんな1925年に、『ザ・ギャーリック・ゲイティーズ』というショーのために書いた「マンハッタン」という曲が大ヒット
このコンビは1942年まで続きますが、そのうち、ハートのアルコール依存症がひどくなり、体調不良や失踪など、問題が多くなり、新しい作品が書けない状態になってしまう
そして、ロレンツ・ハートは肺炎を患ったのが原因で、1943年に48歳という若さでこの世を去った
ロジャース&ハマースタイン
ロジャースは1943年、ハートと同じコロンビア大学の先輩でハートと同じ1895年生まれの、オスカー・ハマースタイン2世とコンビを組む
ロジャースとハマースタインは、少年時代に同じ地区に住んでいて顔見知りであり、アマチュア時代にはいっしょに曲を作ったこともあった仲だった
1959年のミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』はそのコンビの最後の作品となりました。
この作品の完成間近のころ、2人ともガンに侵されていて、ロジャーズは病院と舞台を往復しながら、ハマースタインは余命宣告を受けながら、最後の「エーデルワイス」を書き下ろしたと言います。
『サウンド・オブ・ミュージック』が上演された翌年の1960年に、オスカー・ハマースタイン2世はこの世を去りました。
リチャード・ロジャースはハマースタインの死後も作品を書き続け、晩年は脳卒中と心臓発作とガンとに苦しめられながらも、最後の力を振り絞って『ママの思い出』を完成させ、その作品が閉幕した3カ月後の、1979年12月30日、ニューヨークの自宅で77年の生涯を終えたのです。

時さえ忘れてI didn't know what time it was

1939(昭和14)年10月公演ミュージカル「Too Many Girls」で歌われ、現在においても人気ジャズスタンダードとして君臨している。
作曲はリチャード・ロジャース、作詞はロレンツ・ハート。
10月公演の舞台の1ヶ月前の1939年9月にBenny Goodman演奏、そしてLouise Tobinの歌声でこの曲は先に発表されている。

ぜひ、ご覧ください。

Cécile McLorin Salvant - I Didn't Know What Time it Was 


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