世相を切るsesou-cutのブログ

世相を切るsesou-cutのブログ

世相を様々な角度から論じ、生活と日本の向上たらんとす。

Amebaでブログを始めよう!
マスコミは騒いでいます「日本の地下で何が起きているのか」と。
地震関係者のお偉さん方によると、火山は別々に活動しているし、多くの地震の震源は離れているから、関連性はないだろう、、と。そして、日本はもともと火山も地震も多いから、これが普通だとも言われます。

この説明が、まったくつじつまがあわないことは以下でわかります。火山噴火や地震の関連性がないなら、独立事象だから、活動が同時に起きる確率は、それぞれが起きる確率をかけあわせたものでしかありません。これほどの活動が同時に起きる確率は非常に低いことになります。例えば、任意の6ヶ月で火山が警戒レベル2以上になる確率を高めにみつもって、それそれ1/10とします。現在日本の10個の火山で警戒レベル2以上ですから、これらの火山が共通した6六ヶ月間で警戒レベル2以上になる確率は1/10の10乗で100億分の一になります。100億分の一の事象がふつうであるわけがないですね。

では、これほど多くの火山噴火や地震を説明できる説得力あるものは何なのか?
実は、日本や日本のまわりの地下のマントル対流の力が大きくなっていることで説明できるのです。

地震はプレートの動きによる歪みでおきることはよく知られています。そしてつい最近、小平秀一博士がプレートを動かしているのはマントルであることを実証されました。そして、マントルの巨大な動きによりマグマ形成も促進される場合があることもわかっています。つまり、日本や日本のまわりの地下のマントルが流れる力が大きくなっていることで、火山の活発化も地震の多さも、統一的に説明することができるのです。

http://www.jamstec.go.jp/j/kids/press_release/20140331/
モザイク処理が不十分だとして「日本ビデオ倫理協会」の元審査員とDVDソフト制作会社を有罪とすることが決まったようです。「社会通念に従い、無駄に性欲を刺激させる露骨な描写があれば、性的秩序の維持のために禁止する」とするのが合理的であるとの判断だと言われます。

以下、この判断は合理性がなく、社会悪を招いていることを示します。

1:まず、「性欲を刺激させる」とありますが、今回の場合、開封されるわけでも、描写が陳列されているわけでもないので、刺激される人は、その商品を買った人だけであり、刺激されたくない人は、買わなければよいだけです。したがって、この場合、そもそも性的な描写が他人に損害を与えていることはありえないことです。他人に損害を与えていないのに、禁止することは、自由主義そのものの侵害と軽視であり、社会倫理に反することだと言えます。

2:「無駄に」性欲を刺激させるとありますが、無駄なのかどうかは、見る人が決める問題であり、無駄だと思えば、買わないだけです。主観的に決めるべきことに司法が勝手に「社会通念」を決め、介入していることは、はなはだ暴力的であり非合理です。

以上、この場合の判決の合理性がないことは明らかですが、さらに、これが社会悪をもたらしていることを示しましょう:

3:わいせつ罪とされてしまうために、制限のない性的描写を作る活動は、暴力団等の反社会的なグループによるものになります。他方、性的描写が隠されると、そのままならしばしばグロテスクと感じられもする部分が、美化されて妄想され、歪んだ性欲を作り出します。その結果、歪んだ性欲のはけぐちとして、暴力団の関わった品物に金が使われることになります。欲望が歪み、さらに反社会的なグループの資金を豊かにしてしまうのです。

4:モザイクをかけることには以上の1と2により、必要性も合理性もないのですが、そのような必要性も合理性もないモザイクが強制されることにより、モザイクがかかっているかを審査するために無駄な税金が注がれます。税金の無駄使いは社会悪です。

現在の欧米のように、あるいは江戸時代以前の日本のように、性的描写には制限をかけないことが、社会的に望ましいのです。むしろ他者の自由を侵害することを楽しむような、レイプや暴力シーンは野放しということは、いかがなものでしょう。


またもや、噴火です。

鹿児島・口永良部島(くちのえらぶじま)で、噴煙の高さが9000mに達し、住民の方に島外避難指示が出されました。

日本の地下活動、もうまったなしです。災害に備えましょう。
箱根山大涌谷の隆起が、だんだん高くなってきました、6cm,12cm,そして今日は15cm.

九州桜島も、噴火が続き、噴煙の高さは今日は2500mに達しています。
阿蘇山では、過去数日、噴煙の高さは1500mくらいです。

そして、今日は、群馬・長野の浅間山でも火山性地震が増加しているとの発表がありました。

東日本大震災から数年後、再び日本は未曾有の大災害に備えるべき時に入っています。
安全基準を改善したとして、現政府は原発再稼働を推し進めていますが、これは信頼できる方向でしょうか?


原発の安全基準が、信頼できない机上の空論であることは次のことからわかります:

1:自動車など乗り物では、実際に衝突実験をして、安全性を確認することができますが、原発は実際の事故や災害を起こして安全性を確かめるわけにはいきません。その危険性があまりにも広く及んでしまうからです。安全基準は、実際の安全性から離れるのは当然なのです。

2:実際の災害では、どのような力が、どこに、どのくらい続き、変化していくのを評価するのは、とても多くの情報が必要です。地震の規模、地下の成分分布、状況調査などなど。地震の予測や火山噴火さえ、予測不可能なのは、そのような膨大な情報を集める費用も時間もないからです。情報が足りない状況では、安全性の評価するためには、適当な仮定を設定せざるをえないのです。再び、現実からの乖離です。

3:原発を動かし管理するのは、機械ではなく,人間です。病気をした、勘違いした、等、いつ人為的な間違いがおきるかわからないのです。そのような人為的なミスだけで、町全体が住めなくなるのは、たまったものではありません。 いくら装置の安全性を高めたとしても、人為的なミスをなくすのには限界があります。

さて、「福島第一原発2号機 ベント失敗の可能性高まる」の情報が、ついおととい5月20日に報道されています。いくら基準を定めても、緊急装置そのものが作動していないのです。

そもそも、原子力発電は、冷却のために、外部から電気を供給し続けなければ、故障して環境に放射能をまきちらしてしまう、そのことは避けられないのです。構造上の欠陥です。

以上より、安全基準をいくら定めたところで、稼働したままで、甚大で広い原子力事故被害をくいとめることは、人類の手にはないのです。カリフォルニア州では、全原子炉の廃炉が決まっています。