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恭賀新年
新たな年の幕開けはなんとも言葉にならない悲しさと不安の日々となっています。
誰もが気を緩めのんびり過ごしているその時を嘲笑うかのような酷い天の仕打ち、、
現実とは思えない理不尽な天災に無力感だけを感じます。
被災された方々が一日も早く日常を取り戻せますよう願わせていただきます。
暖冬と言う事で暖かい年末年始でしたが、今朝は
ぐっと冷え込みました。いよいよ冬が本気を出しそうです。
先日は成人の日でしたが、20歳のお祝いでも無いのに、赤い着物を着て京都へ行ってきました
祇園の一力さんの前です。
何度かお邪魔させていただいてるのに、そういえば入り口で写真を撮ってもらった事が無い事に気がつきました。
こちらは敷地の中から一枚
二次会は久しぶりにカラオケなども🎤
翌日はいつも行く山元麺蔵さんの予約が夕方近くまで満席で、残念でしたがお隣の岡北さんで京うどんをいただきました。
とはいえ、こちらも人気なのでしばらくは並んで待ち、冷えた身体に熱々の天とじうどんの美味しいこと!
濃いめのお出汁で、おうどんは柔らかめ。
海老天もごま油香るサクサク熱々〜
上顎にやけどしたけど、満足でした
店先は小さくても店内は天井も高くモダンで坪庭もある素敵なお店でしたよ
ご馳走様でした❣️
昨年の舞台の後記事が出ていますので、載せておきます。
月の光、もしくは...で一緒だった皆さんと
楽しいクリスマスでした
11月になりましたね
過ごしやすい日々が続いていて一年中こんな陽気ならよいのに、と思うこの頃です。
さて、今月25日.26日に上演するリーディングシアター「月の光、もしくは・・・」の稽古も進んでいます。
これまでの私の出演した中での朗読のカテゴリは
シアトリカルライブと称したもので、椅子に腰かけたまま読むというような、いわゆる朗読とは別モノの非常に演劇に近い劇的なリーディングでした。
芥川龍之介 :袈裟と盛遠 薮の中
ジョバンニパピーニ : 焦がれて
井上靖: 猟銃
アリエルドーフマン:死とおとめ
は、いずれも、従来の朗読の概念を消してドラマチックでありながら、音の追求、ことばに対しての引っかかりを意識して作られたわけですが、
今回の「月の光、もしくは・・・」
も演出や台本構成がこれまでと同メンバーという事もあり、
引き続きその劇的なリーディングがより進化できる事を目指しています。
原作者となるハロルドピンターは2005年にノーベル文学賞を受賞したイギリスの劇作家、詩人で俳優でもあります。
月の光は1993年の作品です。
日本国内ではこの作品はあまり上演されていないようですが、イギリスの初演は1993年にディヴィッド・ルヴォー氏が演出を担当しています。
私は2006年にディヴィッド・ルヴォー氏のワークショップに10日間ほど参加した経験がありますが
その時のテキストもピンターで「背信」。
こちらは日本国内でも度々上演されている、ピンター作品の中では比較的わかりやすいものですが間(ま)=沈黙が、とにかく多く(ピンター戯曲の特徴)、ルヴォー氏はセリフとセリフのあいだにある行間を見せるようにと俳優達に言っていました。
そう、ピンター戯曲は難解なのです。
「月の光」は過去に最愛の娘を亡くし、自らも死期が近い父親が人生を振り返り回想する幻想的な物語ですが、そう一筋縄ではいかないのがピンターです!
正直言ってこんがらがってしまいます、どう難解なのか興味がある方知りたい方はぜひぜひ、ご覧になってください。
ルヴォー氏はこうも話しています。
「ピンターの戯曲を安直に解釈したくらいでは彼の戯曲の秘密は明らかにならない。
理解できないからといって不安にはならないで。
ジャスの演奏でも聴くように自由に受け止めてみた時、彼の戯曲はまるであなたを知り理解してくれているかのように心に直接囁きかけてくれるに違いない。」と。
長くなりました。また、次回❣️