お疲れ様です。慶です。
明日、平昌五輪は閉会式を迎えます。
2週間弱の間、数々のドラマが生まれ、目頭が熱くなりました。
そこで、今回は、私的に印象に残った4つの出来事を挙げます。
(以下の順番は、感動したシーンの順位ではありません)
①羽生結弦選手の五輪連覇
ライバルであるN・チェン選手がSPで失態を演じたとはいえ、怪我明けでの五輪連覇は大変すごいと思います。羽生選手のメンタルの強さを知れた演技でした。
②抱き合う小平奈緒選手と李相花選手
スピードスケート女子500メートル決勝で金メダルと獲得した小平奈緒選手と、惜しくも銀メダルに終わった李相花選手が寄り添って称え合う姿には感動しました。スポーツの力は偉大です。
③三池淵管弦楽団のソウル公演にて
最高人民会議常任委員会・金永南委員長が涙を拭くシーンです。日帝期に生まれ、解放後には戦争を経て、今日まで共和国の外交を担ってきた金永南委員長が流した涙。未だに朝鮮が統一されていない中で余生を過ごす口惜しさと、五輪を契機に北南関係が好転し両国が祖国統一に向けて急ピッチで進むことを確信したこの上ないうれしさなど、様々な想いが混同していると思います。
④女子アイスホッケー・北南合同チーム
北南による単一チームが結成され話題となった女子アイスホッケー。一部では北と南の選手だけで構成されていると思いがちですが、このチームには海外同胞も参与しています。決して北・南の選手だけに限る話ではないのです。こうした海外の視点も踏まえて、今回の合同チームの意義を考える必要があると思います。この内容に関する2月15日付の朝日新聞の記事を添付して今回のブログを終えたいと思います。
(縦横無尽)海外養子選手、母国で願う再会 平昌五輪 中小路徹
韓国と北朝鮮の合同チームの応援に沸いた12日の女子アイスホッケーで、「私たちの誇り。あなたを応援します」という横断幕を掲げ、韓国の朴(パク)ユンジョンに声援を送る人々がいた。
国際韓国養子奉仕会が結成した応援団。
朴は生後4カ月で米国の家庭に引き取られ、平昌五輪を機に国籍を戻して韓国代表になっログイン前の続きた選手である。
フリースタイルスキー・スロープスタイル女子の李(イ)ミヒョンもやはり1歳時の養子縁組で、米国の家庭で育った。そして、同モーグル男子のキム・ボンソクコーチも米国の里親に育てられた。トビー・ドーソンの名で米国代表として2006年トリノ五輪に出場し、銅メダルを獲得した。その後、父親との再会を果たしている。
奉仕会は、韓国との関わりを持ちたいと思う海外養子に韓国文化や言葉を教える活動や、生みの親を探す手伝いもする。今回の応援団には、海外で育った40人も合流。開会式やモーグル会場でも声援を送った。キムコーチは「応援に来てくれて感謝でいっぱい。韓国の海外養子は大きなコミュニティー。自分自身、その代表であることがうれしい」と話した。
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韓国は「国際養子大国」だった。奉仕会の鄭(チョン)エリ会長によると、これまで22万人の子どもが、欧米の里親に引き取られた。
朝鮮戦争後、子どもを育てられない親が続出し、国は海外への養子縁組を奨励。1987年には国内養子が約2300人だったのに比べ、海外は約8千人を数えた。
その後、「親が育てられない子は社会で育てよう」と、児童施設を重視する政策への転換が図られたが、それでも90年代は年間2千人台が海外に渡った。朴と李はこの世代である。
少子化の流れもあり、2016年は海外養子は334人、国内養子も546人に。鄭会長によると、「政策の転換で、養子縁組自体のイメージも悪くなった」と説明する。
自身は孤児院で育った。「でも、ただ生きればいいというわけではない。周囲との固いつながりが必要です。養子は家族ができる。つらい時に助け、結婚や出産の喜びをともにできる家族ができる」と話す。
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そんな海外養子出身の選手が、くしくも生まれた国で開かれる五輪で、生まれた国の代表として出場する。
「他の選手は家族や親戚、近所の人がたくさん応援に来られる。でも、海外養子の選手は韓国国旗をつけたとはいえ、育ての親は遠路来ても、応援する人は多くない。だから、私たちが声援を送るのです」
李は韓国メディアを通じ、大会後も韓国で過ごし、生みの親を探す希望を表している。
「養子は、『なぜ、どんな気持ちで自分を手放したのか』を知りたいのです。そして、『捨てたのではなく、あなたのためだった』という言葉を、生みの親から聞きたいのです」。鄭会長は李の気持ちをそう代弁している。
(編集委員)