またまたお久しぶりです!

子供が風邪や目ヤニで病院に連れて行ったり、仕事のことでバタバタしていて、父のところにこの4日ほど行けませんでしたショボーン

でもその間に、実は私も長年勤めた職場を退職したり、など色んなことがあったので、今日は、仕事や介護休業のことについて、思ってることを書きたいと思いますウインク

元々は、先月の6月から育休終了して仕事復帰をする予定で、直前までは父の入退院や子供の入退院もありながらも、仕事の準備を進めてきていました。

ただ、本音を言うと、まだまだ私は休んでたかったし、育休も来年の1月まで本来は取れたんですが、夫が無職ガーンになっちゃったし、下の子を保育園にすでに預けちゃってるので、早く仕事もしないと保育園退園になる、、と内心焦っていました悲しい

仕事自体も、仕事内容的にストレスが凄く多くて、体自体は楽やけど、心がしんどいことが多く、さらに仕事復帰と同時に、産休前の部署から別の部署へ異動と科長から直前に言われ、さらには異動先で、みんなから怖がられてる若干パワハラまがいの副部長さんと2人で一緒に仕事をするように言われました、、、真顔

副部長と2人で仕事するとか本音は嫌やし、辞めれるなら辞めたいけどどうしよ、、、って悩んでたところに、父の治療方針変更(抗がん剤終了→自宅で緩和ケア)があり、医師から余命3ヶ月と宣告を受けて、父のこともあるし、発達障害の子供のこともあるし、一旦介護休業をとらせてもらってもうしばらく休ませてもらえたらと思い、科長、事務長に相談して、6月の復帰を延期して93日の介護休業をもらえることになりました。

でも、実は介護休業中はまったくの無給で、休業後に仕事復帰して、初めて介護給付金の申請が出来て、休業中の分のお金が入ってくることを、介護休業を取得してから初めて知りました悲しいガーン

無給では税金の支払いも全部自分でしないといけないし、もう毎月お金かかりまくって、一瞬で手持ちのお金が消えていきました泣くうさぎ
正直生活が全然なりたたへんし、保育園もあるから仕事は絶対にしなあかんけど、お父さんの自宅介護を続けながら、また毎日毎日あの仕事しかも副部長となんて自分の身が持たないやろうし、行き渋りの長男の面倒もみなあかんしで、もう正直病院辞めたい、、けどどうしたらいいんやろうえーんって毎日毎日悩んで悩みまくってました。
休みをもらって介護に専念は出来たので、父もちょうど病院から在宅に移行する時期に休ませてもらえたお陰で、初回の在宅の訪問診療とか看護の調整とか契約やったり、もろもろがすごくスムーズに進められてすごく有り難かったけど、でも仕事は復帰の期限が決められてるから、それまでに介護をなんとかして終わらせないと、仕事も復帰出来へんようになるえーんそう思えて、なんか父が死ぬのを毎日待っているような感覚にも思えてきて、だんだんと毎日が苦しい感覚になってきました。

父は、私が焦りすぎている、まだまだお父さん生きてるから大丈夫真顔と言うけど、本当にそうなのかな、そんなん分からないし、癌の末期は突然急変することだってあるし、、、と思ったり、いや、でもたしかに今の父見てたら、まだまだ生きるんちゃうか?と思えたり。。。
毎日何をどうしていいのか、あれも、これも、それも、全部なんとかしなって考えて、頭がいっぱいいっぱいでしたショック

そんな中、空いてる時間に出来る仕事ないかな?と考えるようになって、派遣やってる友達に紹介してもらって看護師の派遣のバイト登録して話聞いたり、前から興味のあったバイトにとりあえず社会見学も兼ねて応募してみたり、、と、ちょっとずつ転職を考えるようになりました。

みんなから、せっかく長く勤めてたのに病院辞めるのはもったいない、介護で仕事辞めんでもいい!!と言われましたが、私の中でだんだん逆にこんな時にしか辞められない、(前も一度転職したくて退職願出したけど、何回言ってもやめさせてもらえなかった)、辞めるなら今しかないびっくりマークびっくりマークって思って、ついに科長へラインワークスでまずは現状を伝えて、介護に専念したいので退職を希望していることを送りました。
返事は、、、、「承知しました。」のみ真顔

私怒られてるんだか、呆れられてるんだか、一生懸命悩んで書いた長文ラインが、たったの一言だけの返事しか返ってこなくて、予想外でしたぐすん
怒ってるんやったら怒ってるって言ってほしいし、やめてほしくないとかやったらやめてほしくないって言ってほしいのに、何にも分からないこの感じが、ものすごくメンタルもやられました。ガーン
でももちろんラインだけではなくて、直接ちゃんと辞めることを翌日改めて伝えに行きました。

病院に行くと科長が仕事中で、科長を待ってる2時間の間、仲の良い事務員のおっちゃんが、私の話をずっと聞いてくれました。

「なんとかなるから、絶対に大丈夫!なんとかならんかったら、ただ自分が終わるだけやから。そう思ったら、なんでも出来る!
時が必ず解決してくれるから。でも使える制度はいっぱい使ったほうがええで。多少ズルしても、ちょっとやそっと大丈夫。
一緒に働けへんのはさみしいけど、後悔のないように。
こうやってラインは繋がってるんやし、縁があったらまた会えるから、とりあえず笑顔で無理しんように。
別れの挨拶はさみしいから、次来る時は飲みに行く日の報告に来て!笑」
と、色々優しい言葉をかけてもらって、本当に心が救われました。。
そのあと科長と部長にも事情をはなして、「後悔のないよう、頑張って!」と辞めることを認めてもらえて、逆に励ましてももらえましたえーん

介護休業は結局39日で期限いっぱい使わずに終了し、そのまま退職することになりましたスター
色々あったけど、15年間お世話になった病院。
本当はちゃんと挨拶まわりもしたかったんですが、今はメンタルも不安定で、正直みんなに会うのも辛いので、父のことが落ち着いたら、改めて挨拶にも行きたいなと思ってます。

今日はそんなところで、また続きは今度書きたいと思います。