いつものように学校の裏門横には秋元のCB450が止めてあった。隣にATを止めると、ヘルメットを美術室に放り込み、遅刻ギリギリの教室に向かった。

 

ダブルオーバーヘッドカムシャフト。レーサー並みのハイメカニズムを誇り、ナナハンK0が出るまでホンダのフラッグシップモデルだったヨンハン。ヨーロッパの650cc勢にホンダの持てる技術の全てを注ぎ込んで対抗し、量販車唯一のDOHC車だったヨンハン。俺にはヨンハンの渋さがわかるまで、まだあと30年程の年月が必要だった。

 

秋元は留年組の一つ年上だった。帰りに秋元と一緒になった。「秋元、ヘルメット美術室に置かせてやろうか?」 「えっ、悪いなあ、助かるよ。この頃安藤の奴のチェックが厳しくて教室に持ち込めないんで困ってたんだ。助かる。」学校では冴えない年上の同級生だったけど、秋元には“ハマのシグナルチャンプ”という異名があった。普段、目立たない彼が人が変わったように2国をかっ飛んでいるらしかった。秋元の実家はかなりの資産家らしかったが、留年してしまった事で当然“マッハ”や“ナナハン”を買うことはできなかったらしい。秋元にはヨンハンこそが世界で唯一の戦闘機だったようだ。なんだか古い非力なゼロ戦で、2000馬力級の新鋭戦闘機群と戦わなければならなかった旧軍パイロットを彷彿とさせた。

 

俺は秋元とは、とうとう卒業するまで一緒に走ったことはなかった。教室では芸風が違うとかでバイクの話をすることもなかった。年下の同級生達に馴染むことのなかった秋元だが、美術室の一件以来、俺と目が合うと小さく微笑んだようだった。

 

卒業してからも“ハマのシグナルチャンプ”の噂話を聞いたこともない。秋元の心に、今でもヨンハンと闘った日々は輝いているのだろうか。