小学校の高学年頃から、お袋が生命保険の外交員として働き始めた。タカミチは、その支店の若い支店長の一人息子だった。お袋が余計なことを言ったらしく、タカミチはいつも一人で走っているので仲間に入れてやって欲しい、どうやらそんな話だった。俺達の高校は神奈川でもまあまあの進学校だったんで、タカミチの友達として合格点と判断されたらしい。タカミチは俺達より一つ年下の高1だった。二俣川で二輪免許を取ってすぐ、新車のC2SSを買い与えられていた。

 

120cc。この中途半端な排気量こそがC2SSとタカミチのすべてだったみたいだ。細いパイプだが125クラスでは初めてのダブルクレードルフレーム。ストリートスクランブラーの外観を持つスーパースポーツは、一見90ccに見えるほど華奢だが、圧倒的なパワーはやっぱり125クラスだった。白い煙を吐く2スト空冷単気筒ロータリーバルブエンジンはモーターみたいによく回った。それでもアウトドアに引き出すには、あまりにもプアなサスだった。ジャンプどころか小さなギャップを跳んでも、すぐに底突きを起こした。専用設計のDTとは競う方が酷ってもんだろう。それでも車重81kgの軽量と、10万円を切る価格設定はかなりの魅力で、2国でも赤タンクをよく見かけた。

 

一度家に来てから、タカミチはよく来るようになった。一緒に何回か多摩川の河原を走った。よく雑誌を読んでいるらしかったが、オフロードランが初めてなのは一目で分かった。タカミチは友達が少ないらしく、人との距離の取り方がかなり下手だった。俺達のバイクに比べてC2SSが見劣りするように感じていたみたいだった。速く走ることはライダーの自然な本能みたいなもんだけど、レーサーになる訳じゃない俺達には、自分のバイクを一番好きになることの方が大切な気がした。俺達“スクランブル5”に入りたいみたいだったが、お袋の営業の手伝いをさせられるのは真っ平ごめんだった。

 

暫くして、タカミチは突然顔を出さなくなった。自分でクラブを造りたいってよく言ってたっけ。5では誰もタカミチのことを話さないし、俺自身も話題にしなかった。それにすぐ忘れてしまった。無理に仲間にされたロンリーライダーなんてそんなもんなんだろう。まだバイク屋が溜まり場にならない頃の話だ。もちろん暴走族なんてモノは存在しなかったし、カミナリ族も、ただ騒音を撒き散らすバイクをマスコミが面白がってそう呼んでいただけに過ぎない。まだまだノンビリした、いい時代だった。