ズボラモデラーとは別に、戦艦大和が好きで、色々と資料を集めて、考察していこうと思っていますが、
不定期、継続可能か、不明なので、あまり期待しないでください。
実は、1/350の大和の決定版ともいえる、タミヤの最新版(78025)を買ってしまいました。
おそらく、マジメに作れば、一年がかりかもしれません。いや、一年ではできないかも。
当然、タミヤのオプションの手すりパーツ(普通の一体型のエッチングの手すりではなく、支柱を
一本ずつ立てて、エナメル線を通していくタイプ。本物に近い質感になりますが、とにかく、
手がかかります。)
も同時購入してしまいました。。。
おそらく、始めるまでには、決心が必要で、しばらくはインストとにらめっこで、積んどくだけww
さて、大和型の資料はいろいろありますが、とにかく、真偽不明の資料も多く、
プラモ作成時に悩むところです。
大和、武蔵の正式な図面や資料は、終戦時にすべて焼却処理されたようで、勿体無いとしか言えない。。。
更に言えば、大和の沖縄特攻も無謀で無意味としか思えず、せめて港で空襲されて座礁しても良いから、
終戦までに温存しておいてほしかったと思います。
まあ、それでも、解体か、長門のように、原爆実験に使われて、沈没させられたはずですが。
しかし、終戦時に軍の命令で図面の焼却命令が出たそうですが、極秘資料とはいえ、大鑑巨砲主義は
とっくに終わっていて、軍事的意味が有る資料とは思えず、焼却する必要はなかったと思いますね。
図面だけでも、文化遺産的価値は、大いにあったと思います。本当に勿体無いことです。
今回、考察するのは、大和の21号電探のサイズです。
電探とは、要するにアンテナです。
高さと横幅は、大体判明していますが、実際の構造は、定説が無く、エッチングパーツなどは、
本当にまちまちの形状です。
Xに投稿されていた写真で、これが一番詳細の分かる画像かと思います。
実際の電探は、箱ではなく、前の開いた、金網製のカゴに、アンテナが配線されています。
金網のピッチは、70mmという資料もあったのですが、
この写真を分析すると、それは誤りといえます。
高さは、1.22mが定説??ですので、上の画像の網を数えると、上下方向で24個、横は、計測不能。
大体、網のピッチは、50mm前後のようです。
奥行きは、網がすべて同じとすると、8個+フレームのパイプの幅を加え、45cm程度と見えます。
アンテナ配線を支持する碍子?は、6個分の長さで、30cm程度。
網を70mmとすると、高さは、1.68mとなりますが、下に見えている、15m測距儀とほぼ同じ高さに見えます。
↓このエッチングパーツの電探、測距儀は、かなり写真のイメージに近い気がします。
レンズの歪みが有るとは思いますが、この画角からすると、50mm標準レンズに似た感じ。
距離の遠い測距儀と同じ高さに見えるので、少なくとも、測距儀の外形よりも高さは低いか、同程度とわかります。
(この写真を元にすると、呉の1/10大和の21号電探が高すぎるか、測距儀が小さいか、
少しイメージが違うことがわかります。どうやら、電探の網のピッチを70mmとしたようです。)
測距儀の先端の寸法が不明なので、何とも言えませんが、網のピッチは、50mmが正しそうです。
手前に写る、外側に開いた手すりは、射撃指揮所のものですが、高さ1m位で、おそらく、カメラマンは
少しかがんで撮影したと思われます。
それを考慮すると、電探の高さは、1.2m程度で正しいと思われます。
更に言うと、昔の大和のキットの測距儀は、大体大きすぎ、といえます。
手元にある、初版のタミヤ大和1/350についてもしかり。
スケール上での高さは、3.5mmとなりますが、キットを実測すると、7mm、倍の高さです!
本物の電探の上端は、艦橋のてっぺんの射撃指揮所の天井より下なのに、キットでははるかに上にww
まあ、このキットの出たころは、資料が乏しかったんでしょうね。。。
もちろん、呉の1/10では、天井より下になっています。
ところで、電探のカゴを正確に再現するには、50mmの網目を正確に再現する必要がありますが、
1/350にすると、0.13mm(網を構成する針金の幅が有り、5mm幅とすると、実際の開口部は、45mm)
となり、針金の幅は、0.014mm。これは、エッチングでも再現不可でしょう。
1/200でも、0.22mmと、0.025mm。これも厳しいところ。
1/200以下で、本当に正確に再現したければ、レーザー加工で、パンチングメタルを作るしかないと思いますが、
これも中々大変そうです。
21号電探については、こんなところでしょうか?
さて、1/350大和、電探の網はどうしたもんでしょうか??
まあ、今あるエッチングパーツで我慢するしかないでしょうね。。
P.S.
どうやら、この電探の写真、武蔵のモノらしいです。
21号電探は、最初に武蔵に搭載され、テスト後に大和にも。
大和搭載時に、サイズ等に変更が有ったか否かは、不明ですが、鮮明な写真が他になく、
これを信じるしかありません。