No.48 「当たり前」 ということ | サーバントコーチ 世古詞一オフィシャルブログ -個人と組織の変革のヒント

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株式会社サーバントコーチ代表取締役 世古詞一のブログです。

 


~当たり前であることは、新たに発見したことより意識しにくいことですが、

  


   再確認によって意識し直す機会になったと思います。~







先日の研修の感想で、こんな一文があり琴線に触れたので一つ。


 

「当たり前」ということについて。


 


 


 

当たり前であることは確かに意識しにくい。


 


(ちなみにこの研修で出てきた当たり前とは、誠実さが大事とか。人を理解することが大事とか、


 そういうことです。)


 


 

そこが一番の問題。


 


 


世間一般での認識や組織の中のルールを問題意識無く受け入れている場合が多い。


 


「その通り。そういうもんだ。否定の仕様がない。=当たり前」




という領域から一歩踏み込んでみたいですね。


 




 

当たり前には2つある。




①当たり前=『無自覚』で、良くも悪くも習慣になっているもの





②当たり前=『自分なりの定義』があり、背景や本質を理解しているもの


 


 


①は、外部からの「当たり前」を無自覚に受け入れ、思考停止状態のもの


 


②は、自覚され、創意工夫を加えたり、自分の言葉でしっかり説明ができるもの


 


  




①→②にするために


 


 

●例えばビジネス面では、


 


・業務の当たり前(既存のルールなど)の背景と本質を理解することでカイゼンを始める。


 


・身近の(当たり前となっている)不便さや心地悪さに目を向けることで新商品や新事業が生まれる。


  


 


 


●例えばプライベートで言えば、


 


・親が健在という(当たり前の)感覚を疑うことで親の存在の有難さとそれに沿った行動(親孝行)が


 生まれる。


 


・衣食住の快適な空間と日常を振り返ることで、妻の貢献への感謝が生まれる。




 


とか、、、




 

①→②へは、『当たり前』が『当たり前じゃなくなる』と考えた方が早いかもですね。


 


 

いずれにせよ、




当たり前を深堀りすることで、自分が何をどう見ているのかが解り、


 

自分にとっての大事なこと(価値観)が明確になっていきます。




 

当たり前を再確認、再認識する機会を持っていきたいです。


 


 

*生まれて間もない赤ん坊は、順調に育つことが『当たり前』に捉えられないので、


  健康で育っていることについて有難さを実感しています。