我が子を26日前に亡くした。

もう26日も経つんだね。

グルーミングで数時間離れ離れになるだけでも

寂しかったのに、もう26日も会ってなくて、

これからも会えないなんて。

どおりで寂しさで気が狂いそうになるわけだ。


犬くらいで、で済ませれたらどれほど楽だろうね。

けど私が失ったのはただの飼い犬ではない。

生後まだ3ヶ月半から13年間生活を共にした家族。

私の息子。


本当に悲しいことや辛いことやショックなことって

なかなか公にすることができない。

我が子の死の後も、そのことには触れていない

どうでもいいブログを書いた。

本当に悲しいことは、まだ文章にできなかった。


もう少し時間が経ったら、

アメリカでのペットの埋葬の手続きについて、

書いてみようと思っている。

誰かの役に立つかもしれないから。


我が子の死後、

色んな人からたくさんの優しいお言葉をいただいた。

心に響く言葉、そうでもない言葉、色々。


飼い犬を亡くした時、

飼い主全員が絶対的に経験するのは、

悲しみはもちろん、

津波のように押し寄せてくる後悔。

自責の念。数えきれないタラレバ。

正直、ポエムのような綺麗事の言葉なんて、

あ〜人の悲しみを以って感傷のような、

感動ポルノに浸るのやめていただけませんかね、

という感じである。


だから、私個人的には、

「絶対自分を責めないで」

「何を選択しようと間違いはないのです」という、

後悔や自責の念に押しつぶされそうになる心を

支えてくれるような、

そういうお言葉にとても救われた。


あと

「サーピコ(我が子の名前)、あなたのことは決して忘れないからね」

というのも本当に嬉しかった。

私も夫も絶対に忘れないけど、私たち以外にも

サーピコを覚えてくれてる人がいるというのは

なぜかとてもとても嬉しくて。


今ここにいない我が子は、

どこに行ってしまったのだろう。

いたものがいなくなる。

とても不思議な感覚。

いたのにいなくなる?

じゃあどこに行っちゃったんだろう??

本気でそんな風に考えてしまう。


会いたいとか寂しい恋しいなんかの言葉では

表せられないほどの強い強い、我が子を求める想い。

本当に、また出会いたい。

できれば今世のうちに生まれ変わって、

私の元に戻ってきてほしい。

もし生まれ変わったならば、

ママは必ずあなたを見つけるからね。