今日であの地震が起こってから10年。
その時私はもちろんアメリカで、
例のブラックなアメリカのIT企業で働いていた。
もう何かといっぱいいっぱいで、
311が起こる前から、
その年の3月末で辞めることを決めていた。
地震のニュースがあった次の日の朝、
出社してすぐに、たったひとりの同僚だけが
「家族大丈夫?」って聞いてきてくれた。
ちなみに中国人の女の子。
(日本人って中国人を嫌うけど、中国人ってめちゃくちゃ優しいんよ〜。サバサバ怒鳴るような話し方するけど笑、優しいんよ〜〜)
その他アメリカ人で声かけてきた人いたっけな。
(後に出てくるんだが、その理由は後で)
まだなんかアジアの国のどっかで
でかい地震があったらしい、くらいの認識で、
そこまで気にしてるアメリカ人は
そんなにいなかったんじゃないかと思う。
こっちにいるからこそ、情報が入って来ず、
だから余計に心配で不安で、
その頃ただでさえストレスで
メンタルがぴーちくぱーになってたから、
この311のニュースで
私の心はとどめを刺されたような感じだった。
私の家族や友達で被災した人はいなかったものの、
やはりあれだけの大地震は、日本人としてショックだった。
そこで私がとった行動。
もう会社を辞めることも決めていたし、
311を聞いて居ても立ってもいられない感情に煽られ、もう何もこわくねぇ、という気持ちになり、
その当時、勤めていたこの会社は
アメリカ、イギリス、ドイツ、日本にオフィスがあって全員で320名くらいの社員がいたのだけど、
社員1人残らず、CEOもCFOも全員含めて、
このただの一社員にすぎない私が
一斉メールを送った。
日本でとんでもない大地震が起きたこと。
原発が爆破して、それの修復に命懸けで立ち向かっている人たちがいること。
その彼らは日本のみならず、世界の安全のために立ち向かう英雄であること。
津波で家を流されて、瓦礫に埋もれ、たくさんの命が失われていること。
お願いだから彼らのために力を貸して欲しい。
義援金を送りたい。
できる範囲で協力してもらえないだろうか。
というような内容だったと思う。
今考えると、
よーそんな勇気あったなwと思ってしまうが、
その時はかなりデスパレートだったのだと思う。
このメールを送った後、同僚たちが次から次に、
こんなことになっているのに、ごめんなさい、
何も声をかけれなかった、大丈夫?
って私のデスクに来てくれた。
中には私のメールを自分のフェイスブックで使わせてもらってもよいだろうか、呼びかけたいんだ、
と言ってくれた人もいた。
そしてその日のうちだったか
次の日だったか覚えていないが、
会社のCEOが(これまた超のつくイケメンでねえ)
「日本で起きた地震のためにドネーションを募ります。みなさん(社員)が募金してくれて集まった金額を会社が倍にして赤十字に送ります。」
とアナウンスしてくれた。
つまり、1000ドル集まれば、
会社が1000ドル足して2000ドルにしてくれる、と。
そして最終的に集まったのは5500ドルだったかな。
会社として11000ドルを寄付したのを覚えているから。
本当にありがたかった。
この義援金が少しでも誰かのためになっていますように。
そしてこの後私は会社を辞めました。
これが、履歴書には書けないけど、
多分私が会社員として残した一番の業績だと思う。笑
あれから10年。
生きていることは奇跡だと、
このコロナ禍においても思う。
明日死んでも悔いがないように、
明日まで我慢しようと思ってたクリスピークリームのドーナッツを、
やっぱ今から食う。