10月5日、Appleの共同創業者スティーブ・ジョブズ氏が死去した。
 8月24日、CEO(最高経営責任者)の座をティム・クック氏に譲り辞任を発表し、わずか1カ月強。56歳 死因は膵臓がんでした。こんなに早く亡くなるとは∑(゚Д゚

膵臓は小さく眠れる臓器と言われ癌の早期発見は難しく糖尿病に似た自覚症状がでてくる頃には免疫不全となり、他の臓器に転移し、もう末期であるらしい。ご冥福をお祈りします。

 DTPデザイン業界では、“マック”の愛称で知られ、Appleはクリエイターにパーソナルユースでもこだわりがあるユーザーが多い。ファイルをゴミ箱に捨てると膨らんだり、アイコンをクリックするとウィンドウが吸い込まれていったり遊び心があるんです。 

 かつて日本のパソコン市場はNECの98シリーズが席巻し、Microsoft MS-DOSと呼ばれるコマンド操作が難しく、マウスでのアイコンをクリックする解りやすいインターフェイスを Macは最初から採用していた、こうしてインターネットが普及し、のMicrosoftは一躍メジャー企業に躍り出た。

 その頃、ジョブズは85年に健康面で不安が指摘され、2004に膵臓の手術、2009年肝臓移植をしていた。経営陣の内紛もありトップを退任した。その後、PCの筐体デザインが不評なPower Macの時代に経営不振に陥る。アップルを立て直すために97年に復帰し。斬新な筐体のデザインでも優れたG3,imacで巻き返した。

 これまでのテンキー操作の携帯電話と「iphone」は他社のスマートホンは全く別物であり。電話とタブレット情報端末、MP3プレイヤー「ipad」を3inに合体した発明だと言う。ジョブズのプレゼンテーションは非常に明快で魅了される。

 07年に「iphone」10年に「ipad」を売り出し、次々にヒットさせ、PCのハードとソフト両方を製造してきたメディアの融合でも先見性を発揮している。

。「ipod」の発売を皮切りに、03年に音楽や映像を配信する「itunes」を立ち上げて顧客を囲い込む戦略でスマートフォンの時代を迎え“王国”を築いた

 「iPhone」の販売がソフトバンク独占からAUーでも販売することが正式に発表された。iphoneは電波状態が不安定で不満でした。選択肢が増えることは嬉しい。ソフトバンクのホワイトプランと同等の通話料金無料でソフトバンクと競合することになる。




 2010.3.11 東北地方に起きた地震は震源地から遠く離れた関東エリアと同時多発し東京でも震度5を超えるかつて無い規模の甚大な被害をもたらした。

 あれからもう半年、福島原発事故に関するテレビの情報が極端に減った。原子力発電所の安全神話が崩壊し、見えない放射能に不安な日々を送る福島の人達へ、

 私の故郷、新潟県も中越、中越沖地震で甚大な被害を受けた.台風ゲリラ豪雨で三条市の人は水害で被害を受け元気を無くしている。

 東京電力の柏崎・刈羽発電所は運転を続けています。
日本は戦争で唯一の被爆国、広島、長崎は焦土と化し、そこから日本は高度成長期に驚異的な復興を遂げた。
世界中が今後の日本の復興の早さに驚いています。

 新潟市も日本海夕日コンサートは若い世代が立ち上げ日本中から沢山の観客を動員するイベントがあり元気をもらいました。

 福島県でも若者が音楽イベントを立ち上げた。
YOUTUBEで日本全国同時生中継


011/9/17(土)LIVE福島 風とロックSUPER 野馬追 @郡山





http://www.youtube.com/user/KAZETOROCK#feature=ticker





I love you & I need you ふくしま」



 32年前私は大学受験のため日経新聞奨学生として上京。東京・高円寺中央ゼミナールで浪人中、大晦日。越年講習に参加していました。

 今暴力団の交際で引退した島田紳助さんが紳助・竜介の時代革ジャンにリ-ゼントのツッパリ君キャラで、英語の授業中、生中継で紳助・竜介が乱入してくる設定でした。

 当時はTBSザ・ベストテン、歌謡曲全盛時代。レコード大賞→紅白歌合戦→行く年来る年(民放全部同じ)が定番の高視聴率の流れで放送をしていました。

 当時朝日新聞記者だった故・筑紫哲也さんをキャスターに起用して日曜日夕方に、日曜夕刊!こちらデスクのパロディとして、この番組の放映期間中のタモリさん司会による「夕刊タモリ!こちらデス」が放送されていました。

 アシスタントは“なるほど・ザ・ワールド”レポータに転身する迫文代さんで、20年後仕事でお会いし、当時テレビ朝日の新人アナウンサーだった話をしてヽ(*'0'*)ツ

 TBS噂の東京マガジンで活躍の森本 毅郎さんと故・頼近美津子さんがNHKニュースでコンビを組んでいました。

 頼近さんは入局2年目に永六輔司会、タモリさんと大型バラエティー番組「テレビファソラシド」に起用されて、NHK開局以来女性アナが芸能番組に主役で登場するのは初めてと言われた。

 昭和56年にフジテレビに移籍.59年、当時フジテレビ副社長(後にフジサンケイグループ会議議長)鹿内春雄氏)と結婚し退社した。