生まれたのは横浜市内でしたが、海なんて全然近くではありませんでした。
両親が川崎市内に家を建て、この町で私は大きくなりました。
幼稚園は周辺にあったのに、人数がいっぱいで断られてしまい、私は遠くの幼稚園まで母と毎日時間をかけて通うことになりました。
朝、通りすがる立派なお家では、奥さまがいつも掃除をしていて、『おはようございます』と挨拶をしました。
そうすると、『あら、今日も偉いわね』と褒めてもらえることを知っていましたから。
幼稚園の記憶といえば、仲良くしていた二人の男の子が浮かびます。
そのうち一人とは、結婚の約束をしていました。
一人は名前を忘れましたが、もう一人は変わった名前なので覚えていました。
小学校は違いましたが、中学校で体育着の名札を見て間違いない、と再会を驚きました。
男の子と同じ組の友達に訊いたら、『サイテー!すっごくスケベなの』という返事が。私の初恋は何たるものだったんでしょう。
幼稚園の学芸会で、王様やお姫様の出てくる劇を発表することになりました。
当時、男の子たちに人気のあった女の子は、お手伝いさん役でした。休み時間にその女の子は、男の子たちに『どうしてお姫様役やらないの~?』と追いかけまわされていました。
私は裏方でした。王様の椅子をどうしたらもっと豪華に出来るかと考えあぐねてあれこれと飾り付けました。
私の飾り付けを見たやはり裏方の男の子が『あいつの作ってんのいーぜ。真似しようっと』と言っていてちょっと生意気な気分にもなりました。
劇は成功でした。ただ、まだ母親たちの笑い声はあざ笑いのように感じる年頃でした。
大きくなって、結婚して女の子が生まれたらどんなことをしてあげようと夢を見ました。
高校生の時読んでいた『Olive』という雑誌は娘に見せたくて全て捨てずにとっておきました。
『ママの若い頃はね』と小さな肩を抱いてどんなお話をしようかと想像しました。
私はついぞ子どもを生みませんでしたが、お母さんという人々は何とすごいことか。
母を体験した友達が皆信じられません。私にとってお母さん=何でも出来る人なのです。
お母さんになれなかった私はもう失敗しなくていいので、何だって言えるのです。
『私も挨拶がよく出来る娘が欲しいわ!』などと。
両親が川崎市内に家を建て、この町で私は大きくなりました。
幼稚園は周辺にあったのに、人数がいっぱいで断られてしまい、私は遠くの幼稚園まで母と毎日時間をかけて通うことになりました。
朝、通りすがる立派なお家では、奥さまがいつも掃除をしていて、『おはようございます』と挨拶をしました。
そうすると、『あら、今日も偉いわね』と褒めてもらえることを知っていましたから。
幼稚園の記憶といえば、仲良くしていた二人の男の子が浮かびます。
そのうち一人とは、結婚の約束をしていました。
一人は名前を忘れましたが、もう一人は変わった名前なので覚えていました。
小学校は違いましたが、中学校で体育着の名札を見て間違いない、と再会を驚きました。
男の子と同じ組の友達に訊いたら、『サイテー!すっごくスケベなの』という返事が。私の初恋は何たるものだったんでしょう。
幼稚園の学芸会で、王様やお姫様の出てくる劇を発表することになりました。
当時、男の子たちに人気のあった女の子は、お手伝いさん役でした。休み時間にその女の子は、男の子たちに『どうしてお姫様役やらないの~?』と追いかけまわされていました。
私は裏方でした。王様の椅子をどうしたらもっと豪華に出来るかと考えあぐねてあれこれと飾り付けました。
私の飾り付けを見たやはり裏方の男の子が『あいつの作ってんのいーぜ。真似しようっと』と言っていてちょっと生意気な気分にもなりました。
劇は成功でした。ただ、まだ母親たちの笑い声はあざ笑いのように感じる年頃でした。
大きくなって、結婚して女の子が生まれたらどんなことをしてあげようと夢を見ました。
高校生の時読んでいた『Olive』という雑誌は娘に見せたくて全て捨てずにとっておきました。
『ママの若い頃はね』と小さな肩を抱いてどんなお話をしようかと想像しました。
私はついぞ子どもを生みませんでしたが、お母さんという人々は何とすごいことか。
母を体験した友達が皆信じられません。私にとってお母さん=何でも出来る人なのです。
お母さんになれなかった私はもう失敗しなくていいので、何だって言えるのです。
『私も挨拶がよく出来る娘が欲しいわ!』などと。