4姉妹ママです。天使になった4女の妊娠からの記録です。誰かのためになればと思います。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。PICUに入り看護師さんたちが迎えてくれました。車いすに乗らず歩いてきたことにびっくりされました。いよいよ初対面。小さくて、髪がふさふさな我が子。見た瞬間いろんな感情が混じり涙が溢れました。出産日の記事に出生体重、身長を書きましたが実際にはこの時点で初めて聞きました。2694グラム。小さいはずです。上のお姉ちゃんたちはみんな3300グラムは超えて産まれてきてるので約1キロの差。ベッドの横には沢山の点滴が並んでいました。ベッドの足元にも。胸には心電図、右手、足には点滴。左手にはサチュレーション。全てモニター管理。鼻には栄養管理の管。それをテープで顔に貼られている。空気中の酸素では酸素濃度が濃いため窒素を混ぜた酸素を人工呼吸器で。肺に水が溜まらないように管が入っておりそれがベッドサイドの入れ物に溜まるように。おしっこの管も入ってます。前にも書きましたが、胸骨は開いたまま。胸の皮膚は閉じてあり菌が入らないようになってました。頚部には中心静脈のルート。体温が下がらないように上から温める機械。少しの動きでも心臓に負担がかかるため麻酔での鎮静。脈拍は普通だけど、SpO2(酸素濃度)はやはり低かったです。普通は100%に近い数値。うちの子は80%あればいい方でした。それも上げれば言い訳ではなく、肺静脈狭窄のため酸素濃度をあげてしまうと肺動脈から肺へ流れる血液が増えてしまい肺高血圧症になってしまうのです。単心房、単心室というのも影響してきます。なので窒素を混ぜできる範囲で辛くならないように調節してありました。手術をしていただいた先生から一通りの説明を受け「手術が成功したのもあるけど、生命力がとても強く、そこに助けられました。」と言われました。こんな小さな体でほんとによく頑張った。ほんとに凄い。夢を見ているようななんとも言えない気持ちでした。先生方には感謝しかありません。目は開けてくれない、抱っこもできないけど今ここにこうして生きているだけで十分でした。触れていいのか、ダメなのかわからず。「頭撫でてあげてください」いっぱい撫でてあげました。よく頑張ったね写真も撮ってもらいました。あっとゆーまに時間は過ぎ面会終了。(1時間の時間制限のため)痛かったお腹の痛みも我が子を見ている間はすっかり忘れていました。帰りは車いすにのり旦那に押してもらいました。部屋に戻ってから何度も写真や動画を見返しました。出生直後とは比べ物にならない顔色の差。産まれたときは相当辛かったんだろうな。そぉ感じさせられました。昼過ぎに旦那ともう一度面会に行き、旦那とは一旦お別れ。朝から動いているためある程度のことは自分でできるようになっていました。しかし、たまーにお腹が痛くなる。後陣痛です。もぉこれが痛くて痛くて。出産経験が多くなるほど後陣痛の痛みが増すというのはほんとの話みたいです笑痛いと思って初めて硬膜外のボタンを押しました。すると、背中にスーッと液体が流れていくような感じがしました。気持ち的に楽になったような感じです笑この日もシャワーは禁止だったので早く入りたかったです!
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年11月8日(生後1日目)いよいよ赤ちゃんに会える日。つまり離床開始日であります朝起きて、看護師さんが来ました。清拭タオルと洗面器を持ってきてくれました。まず腕に入っている点滴OFF。からの子宮の収縮具合をチェック。↑これがマジで痛い。毎回痛いけど、今回は帝王切開。傷の痛みの方が気になってしょうがない。けど、そっちの痛みはほぼ感じずでした!で、「ゆっくりでいいから起きてみようか!」ついにきました・・・恐怖。笑電動ベッドに完全に体を預け、リモコンでゆっくり起こしていく・・・。痛いよりも怖さしかない!思ったより痛くなかったかもしれません時間かけて起きたのはいいけど体勢が微妙すぎて逆に辛い!けど、その体勢を自分の好きな体勢にするのがまたつらい!とゆーかやっぱり腹筋を使うことが痛い!!なんとかタオルでスッキリし、歯磨きも終了!しばらくして待ちに待った食事の時間!もぉお腹空きすぎて逆に食べれないパターン。全粥におかずでした。全粥だから尚更量が多く感じる笑帝王切開後は動けないから必要なものは手の届く範囲にすべておいておく!事前に調べて実行しておいてよかった何を取るにも必笑いご飯多すぎて残しました。ごめんなさい妊娠中はかなりの食欲だったのにいつも産んだらすぐに食欲なくなります。赤ちゃんパワーってすごいです★そしてバルーンOFF。痛みも何もありませんでした。バルーンを抜く=トイレへ行くもぉすべてが初めてで何もかも恐怖です。「次トイレ行きたくなったら呼んでね痛いけど、どんどん動いてね」鬼です笑バイタルチェックも終わり看護師さんは一旦退室。ちなみに硬膜外(背中に入っている点滴)はまだそのままです痛みが出たときは遠慮なくそれを押すように言われました。何時になったら赤ちゃんに会えるのかな。一人になったのはいいけど、動けないしすることがありません笑そうこうしているうちに尿意が・・・ナースコールを押し、看護師さんを呼びました「トイレに行こうと思います」車いすを持ってきてくれました。ベッドから足を下す。この行為にどんだけ時間かけるんや!ってぐらい時間かかりました。そこから介助してもらい足で立つこれがやばい。もぉどこが痛いかわからない笑車いすに飛び乗りたいけど無理笑そーっとそーっと座りトイレへ!1回立てた喜びと、痛みを知ったためトイレの中の動作は自分でできました!帰りは歩行練習。車いすを頼りに一歩ずつ歩く。腰が曲がったおばあちゃん状態です笑なるべく伸ばすように歩いてはいたけど、やっぱり痛いのは痛い!※普通分娩と帝王切開の両方を経験した私の感想・・・帝王切開は普通分娩よりつらい!普通分娩は確かに産むまでは辛いけど産んだ瞬間楽になる!(お股の傷は多少痛むけど笑)けど帝王切開は産んだ後地獄!!!帝王切開で出産した世の中のママ尊敬です。今回は硬膜外が入ってるからいいけど、この安心感なかったら絶望しかありません笑しばらくして旦那が来てくれましたもぉそれだけでうれしい!自分で動かなくていい喜び笑お願いしたことは全てしてくれました11時前、看護師さん訪室。「赤ちゃんに会いに行こうか」「はい」車いすを準備してもらい、一人でベッドから移動してみました。「車いす乗ってく?押していく?」と聞かれたので押していくことに。産婦人科病棟からPICUまではエレベーターに乗って行かないといけません。結構距離があります。それでも歩いてPICUへ。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。夕方に再度呼び出され戻ってきました。「緊急手術するって」・・・・え?状態が悪いため明日まで待たずに準備が整い次第手術になりました。現時点で考えられる病名、手術の説明をされていたみたいです。・総肺静脈還流異常・肺静脈閉鎖・右室型単心室・単心房・共通房室弁逆流・動脈管開存・肺高血圧肺静脈閉鎖・・・閉鎖って。人工心肺を使い6時間程の手術。術後人工心肺を離脱できない可能性ももしかしたらあるかもしれない。旦那は一人でこの説明を聞いてくれました。祈るしかなかった。顔を見ることすらできない。午後6時半頃旦那にお守りを託し手術室まで見送り、手術が始まりました。手術中は院内待機指示。個室に入っていたため相談し、同室で待機させてもらえることになり、看護師さんが部屋の模様替えをしてくれました。臨機応変に対応していただき感謝です6時間程と言われていたけれど夜中の0時を過ぎても連絡がありません。どうなっているんだろう・・・。もちろん心配だったけど疲労のため何度かウトウト・・・けどすぐ目が覚める。まだ連絡がない・・・。大丈夫なのかな。何度もそんなことを繰り返し8日午前2時過ぎ。「PICUから呼び出しがあったので行ってください」看護師さんが部屋まで言いに来てくれました。しばらくして旦那から着信。「手術成功したって」旦那は泣いてた。よかったホントによかった成功率50%もないと言われていた手術。こんな奇跡があるのか。と思った。・共通肺静脈と心房を吻合・動脈管切断・房室弁輪縫縮術聞くだけで難しい。そして胸の皮膚は閉じてあるけど胸骨は開いた状態で、後日閉胸術を行う。ということでした。とりあえず状態が術前より落ち着いているため何かあればママに連絡ということで旦那は一旦ホテルに戻りました。私はというと、寝返りできず泣いて汗かくし、全身が痒い。旦那が帰るときに看護師さんに言ってくれたみたいで看護師さんが来てくれました。痒いのは点滴の影響とのこと。サチュレーションモニターがなんとも鳴り「息苦しくない?」と確認されました笑たぶん、私元々呼吸が浅いタイプですあまりもに何回も鳴るので経鼻酸素をつけられました。人生で初めて!それでも鳴る笑深呼吸してねと言われるけど深い呼吸は何度も続かないんです笑横向きにさせてもらって(めっちゃ時間かけて笑)何とか寝ることができました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。更新が遅くなりました。(誰も待ってませんか笑)ついに、ついに可愛い我が子が産まれる瞬間。令和1年11月7日(37w4d)午後1時43分体重 2694g身長 45.5cm可愛い可愛い女の子が産まれました。産まれた瞬間産声が聞けた。それだけですごく嬉しかった。顔は見せてはもらえなかった。それからすぐ赤ちゃんは隣の部屋へ。モニターの音がこっちまで聞こえる。周りはバタバタとしている。私はそのまま卵管結紮の手術に入りそれもすぐ終わり閉腹へ。赤ちゃんはどうなってるんだろう。大丈夫なのだろうか。聞きたいけど聞けない。誰も何も言ってくれない。涙だけが流れる。そんなことを思っていると「赤ちゃんPICUに上がったからね」枕元にいた麻酔科の先生が教えてくれました。よかった・・・。泣いてうなずきました。そこから麻酔でウトウトしてたような気がします。無事帝王切開終了。下半身は動かないためみんなに抱えられ服を着たりストレッチャーに移動。待機室で待っていた旦那の前を通り(ウトウト)部屋に戻りました。「赤ちゃん見れた?写真撮れた?」「産まれたとき顔見せてもらえなかった」部屋に戻って真っ先に旦那に確認しました。旦那は動画を撮っててくれました。すでに挿管され、安静のため眠らされている状態。「なんか言われた?」状態が知りたい。「今まだなにも言われてない」そっか・・・。待つしかありませんでした。それから1時間ごとぐらいに看護師さんが部屋にきてバイタルチェック。最初全く動かなかった足先が、徐々に動くように!もちろん寝返りはできません。痛みが出るのが怖いってゆーのもありました。しばらくして旦那がPICUに呼ばれました。”状態を見て明日まで持てば明日手術をする”そういわれたようです。写真を撮らせてもらえたみたいで見せてもらいました。最近聞いた話ですが、本当はこの時に”かなり厳しい状況。今も。正直手術して良くなるか誰もわからない状況。”という話をされていたみたいです。けど心配かけないように話さなかったみたいです。この日はもちろん絶食。夕方、再度呼び出し。続きます。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。全く寝れずに出産当日を迎えました。午後から手術のため、朝起きて午前中のうちにOS-1を1本飲まないといけなかった。NSTの装着し、モニター管理。お腹の張りがあるのはいつものことなので特に何も思っていなかったけど、あまりにも頻回に張るもんだから「お腹張ってるけど大丈夫?」と看護師さんが訪ねてきました笑先生にも確認し、陣痛では無さそうだし様子見。旦那や自分の両親が到着しました。ここにきても自分の両親は空気が読めない。旅行気分で来てる感もぉホントにイライラする。出産当日もいろんな人からメッセージがきました。涙が止まらなかった。出産前に人生における最後の妊婦姿を撮影お腹に傷が無いのもこの写真が最後。そこからいよいよ準備開始。病衣に着替え、弾性ソックスを履き、点滴開始・・・その点滴がまた痛い。担当看護師さん(おばちゃん)と若め看護師さん担当看護師さんの指示で若め看護師さんが点滴を入れようとするんだけど入らない・・・太くて長めの針だから針を刺してから血管の中をうまいこと通さないといけないけど、それができない「お産が終わって部屋に戻ってきたときにはこの点滴が一番痛かったって思うとおもうよごめんねー痛いねー」若め看護師さん2回失敗し、担当看護師さんに交代。「もしこれで入らなかったら先生にしてもらうね」と言って結局入らず先生を呼ぶことに・・・さすが先生一発で決めてくれました!産後、床上安静ということなのでベッド回りに色々セッティングしておきました。時間になり点滴を引き手術室へ向かう。産みたくない。お腹から出したくない。生きたまま会えるのか。大丈夫だろうか。自分の痛みの不安とかぢゃなくて赤ちゃんのことが不安でしょうがなかった。入室前に我慢していた不安な気持ちが溢れ涙が止まらなかった。そこから手術室の待機室に入りました。そこには数十名のスタッフがいました。沢山の医療スタッフがいるだろうと覚悟していましたがびっくりです。泣いてては手術室に入れないためみんなが私を囲み励ましてくれました。しばらくして手術台へ。全裸ではなかった笑病衣のサイドが開くようになっていたためそのまま上がれました左手に血圧計、サーチモニター右手に点滴(まさに調べた時に出てきた通り!笑)横になり精一杯背中を丸め麻酔開始。一瞬痛かったけど我慢。硬膜外麻酔の管も入れました。しだいに下半身がポカポカ。アルコール綿を肩と脇下と交互に当て冷たく感じるか感じないかチェック。(これも調べてた時に見た通り!笑)麻酔が聞いたことを確認し手術開始。「麻酔が効いていて痛みは感じないけど引っ張られる感じとか変な感じはあるからね」と言われてたんですが、その通りでした。途中気持ち悪くなったり、痛みがあるような感じになり、その都度訴えました麻酔科の先生はずっと枕元にいてくれたので安心でした。そんなことより左腕の点滴失敗した部分に血圧計モニターが装着されているため痛いまさかこんなところでその痛みがくるとはそしてついにこの瞬間が・・・。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。全記事の続きになります。その後は私の入院に関して看護師さんが来室。またしても大量の説明、同意書を置いていきました。それから間もなく麻酔科の診察へ。外来の麻酔科へ移動。麻酔科の先生も女先生でしたお腹の中の赤ちゃんに使う麻酔、私が出産時に使う麻酔の説明を受けました。ここの病院では硬膜外麻酔、脊椎麻酔使用でした。SNSで色々調べてた時に、出産後も背中に管が入ったままで、痛かったらボタンを押せば痛み止めが入って痛みが引く!という人もいたので、それがいいなぁ・・・と思っていたら、なんとそれをしていると内心すごくうれしかったです笑その場で同意書を記入し(また笑)麻酔科の診察は終了。部屋に戻りすべての同意書に二人でサイン!さいん、サイン、SAIN!!!!書きまくりました。笑PICUに全てを持っていき、再度見学。お腹の中の子が入る予定の場所も確保してもらえてました。いつの間にか夕方になり、旦那とは一旦お別れ。はぁ~いよいよ明日かぁ・・・。確かこの日は9時以降絶食。OS1を1本飲み干すように言われていました。ちなみに院内は原則付き添い不可、不要なので旦那は事前にホテルを取っておきました。この時期は紅葉の時期だから、早めに予約したほうがいいよと言われ、京都に詳しい子に相談したりして予約しました。とっても寂しい、怖い夜でした。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年11月6日(37w3d)11時までに京都の病院で受付予定。産後のことを考え、旦那もお泊りセット持参。大きなキャリーケース2つと、ボストンバックを車に詰め、子供たちが起きる前に出発。起きた時にいないの寂しいだろうなぁ・・・とか思いながら京都に向かいました。到着し入院受付。かなり待ち時間がありました。身長、体重測定。この時点で体重は妊娠前の+12kg今回はいつもより体重の増えが少なく、お腹の大きさも小さかったです。(いつもは20kgぐらい増えます笑)この日は15時ぐらいに麻酔科の予約が入っている以外は特に予定もなく、お昼ごはんどうしよーかー。とかこれから明日まで何するー?とか呑気なことを考えていました。個室に案内され、一通り説明を聞き、今日これからの日程を聞きました。小児科の先生の挨拶、看護師さんからの説明、モニター装着、明日の説明。この時初めて明日の13時OPEということを聞かされました。しばらく入浴できないため入浴も夕方までには済ませるようにと。のんびりできると思いきや全く!!!とりあえずご飯!旦那も楽しみにしていたラーメン!少し遠くまで行っていたため急いで戻ってきて、昼食終了後、小児科の先生が来ました。ここにきて初めての男先生でした。とっても優しそうな、話しやすい先生でした。お腹のなかの赤ちゃんの今の状態、予測される状態を丁寧に教えてくれ、必要と思われる治療の説明、それに必要な同意書をかくように言われました。その数20枚以上・・・・造影剤使用について・集中治療室入室に関すること・行動制限に関して・検体採取ならびに検査に関して・おむつの代金に関して・特定生物由来製品仕様に関して・輸血使用に関して・心臓カテーテル検査・心血管造影検査に関して・肺動脈狭窄に対する経皮的血管形成術に関してあまりの量に唖然笑説明が終わった時点でかなり時間が過ぎていました。急いでシャワーを浴び、浴びている間にPICUの担当看護師さんが来室していました。PICUのしおり、入院診療計画書を持ってきました。PIUCに入室できる時間は決められており1日3回。一度に入室できる人数は2人まで。入室できるのは両親、祖父母まで。かなり厳しく決められていました。赤ちゃんの分私の分長くなるので続きます。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。その後は手術が可能な状態で、手術が成功した場合の話をされました。1歳前後でグレン手術(上大静脈を肺動脈に吻合)その約1年後にフォンタン手術(下大静脈を肺動脈に吻合)※ちょっと違うかもしれないので詳しくは知りたい方はWEBでお調べください。どちらも単心室、単心房の子に行われる手術であり、最終のフォンタンに行くまででも条件が揃わないとできない。《条件》・肺血管の発育・機能が良好つまり肺血流の調節が良好にできていないとダメ・心室の機能が良好共通房室弁の逆流が強い場合は房室源形成術を追加して行うの2点を言われました。フォンタン手術を行えばチアノーゼは無くなる。けど、条件をクリアできないときはしない方がいい場合もある。その場合はチアノーゼ残存。グレン、フォンタンの前にはカテーテル検査必須。以上のことを女先生はたんたんと説明。最初の時点で頭の中が真っ白になり、先生の説明が頭に入ってきませんでした。手術ができない=死亡染色体異常が無く、やっとここまできたのにまだそんな可能性があったなんて・・・。ちゃんと聞かないと旦那や家族に説明できない。必死でした。先生は優しい言葉なんてかけてくれませんでした。産婦人科の先生と違い笑顔の会話もありません。そしてすべては確定診断ではない。あとは産まれてきてからぢゃないとわからない。「説明で分からないところありましたか?」以上で説明は終わりでした。もぉわからないことばかりです。何度聞いても分かりません。理解できません。診察が終わりすぐに旦那にLINE「条件が揃わないと最初の手術自体できないって」「パパも一緒に来てほしかった」仕事なので返事はきません。家に帰り、旦那に説明。「そんな話やったんか!?」「それは一人で聞くのは辛かったな」「こんなこと聞いたら頭の中真っ白になるの当たり前やわ・・・」気持ちを察してくれました。家族全員、ここまできたらもぉ手術成功を願うしかなかったのに、まさかの展開。けど、信じるしかなかった。「赤ちゃんは強い」「赤ちゃんの生命力はすごい」「大丈夫」SNSでかけてもらった言葉が頭をよぎりました。絶対大丈夫。ひたすら祈っていました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年11月1日(36w5d)今日は一人で京都の病院へ。米原まで1時間半車を運転し、その後電車。電車の中で眠くなってしまい気づいたら大阪・・・京都で降りたらバスに乗ろうと思ってたのにぎりぎりになってしまい結局タクシー笑なんとか予約時間ぎりぎりに到着できました。今日は前とは違い小児科の先生の診察。またしても女先生でした。よかったーあとで調べたところ、胎児エコーを見る専門の先生みたいです。30分ほどひらすら無言で腹部エコー。その後診察室で話をしました。すごく上手な絵をかいてくれ、細かく説明。・総肺静脈還流異常でまちがいない・肺静脈の狭窄が強いこの2点は県内の病院でも言われた内容と一緒だったので、納得しながら聞きました。あとは・共通房室弁逆流(軽度)問題はそれから。生後間もなく手術と聞いていたのですが、手術ができる条件が揃っていないと手術自体できないということを言われました。まさかの展開。手術が成功すれば助かると思っていた我が子。けどそうではなかった・・・。《条件》①共通肺静脈腔が心房の近くにあること②肺血管が形成されていることこの2つをクリアできないとそもそも手術はできない。一人で聞く内容ではなかったと後悔しました。①に関してはエコーでは確認ができない。②も同じく。胎児の時点で肺静脈狭窄があるため胎児期に必要な1,2割の血流が維持できておらず肺血管の発育に障害がある可能性があり、その場合は手術をしても肺に血液が流れてくれない。総肺静脈還流異常の手術とは別に、肺血流の調節も必要。①肺動脈狭窄がちょうどいい→そのまま②肺動脈狭窄あまりない→肺動脈絞扼術(バンティング術)orBTシャント+バンティング肺血流が多くなりうっ血が起きるため③肺動脈狭窄強すぎ→BTシャント肺血流が少なく低酸素、チアノーゼが起きるため現時点では③が濃厚。次の記事に続ます。
余談です。娘の心疾患が確定してから情報を集めようと色々調べました。Yahooで調べても難しい内容ばかり。インスタをしているので、タグつけして検索。世の中には同じような状況の親がたくさん。#総肺静脈還流異常#単心房単心室#先天性心疾患#帝王切開#帝王切開術後いろんなことを調べました。その中で見つけた方々。いい結果には繋がらなかった子ももちろんいました。けど子供たちの写真、状況を細かく載せている方々がたくさんいて情報がほしかった自分にはうれしかったです。今は色々検索できる時代。いろんな人とつながることができる時代。私にはとっても心強く何度も励まされました。「赤ちゃんは強い」「赤ちゃんを信じて」「大丈夫」「何の根拠もない言葉だけど、大丈夫という言葉が一番心強い」自分の子供のことを一番信じてあけないといけないのは自分。それはわかってるけど、状況が状況なだけにそれも辛い。けど、結局最後は信じるしかないんです。大丈夫という言葉に何度も励まされました。先生は大丈夫なんて言葉を口にしません。大丈夫といわれることなんてなかった。もちろん、大丈夫なんて言われても大丈夫なわけないやろ・・・。結果大丈夫だっかたから人に大丈夫って言えるけど、大丈夫ぢゃない。言われてるときはそんな気持ちでした。(性格悪くてすみません笑)けど、最後は大丈夫って言い聞かせるしかないんです。ぎりぎりの時にならないと言葉の重さがわかりませんでした。けど、ぎりぎりの時に思い出せる言葉でした。SNSって良い面も悪い面もたくさんあると思います。けど、私はSNSに支えられました。とにかく関わって下さった方に感謝です。という余談でした。笑
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月28日(36w1d)妊娠10ヵ月、臨月に突入しました。今日は旦那と京都の病院へ2回目の受診。車では時間がかかるし、今後もし一人で病院へいくとしたら2時間半の運転はきついため電車を利用することにしました。といっても米原まで車(1時間半)、米原~京都まで電車(各駅1時間半)、京都駅~病院までタクシー(約15分?)の乗り継ぎで行ってみることにしました。トータルの到着時間に変化なし!笑前回と同じ産婦人科の受診です。そしてこの日、ついに出産日が決まりました。”手術日なんだけど・・・11月7日でって思ってます”・・・!?えっ!?11月7日は長女の誕生日です。しかも37週。37週になったら一般的にいつ産まれても大丈夫と言われていますが、大きさ的に大丈夫なのかという不安がありました。”予定よりちょっと早いけど、問題ないから!あとその日しか空いて無くて””わかりました”出産まで残りわずか。一気に緊張が増しました。”事前に入院する?それとも外来にくる?長女の誕生日をしてあげたかったから、早めの入院となるとできなくなる。しばらくはほんとに会えないから、できるだけ子供たちと一緒にいてあげたい。そういう気持ちから、外来での受診でお願いしました。もちろん一人での受診になる予定でした。なんとか押し切り(笑)今週中にもう1度受診予定となりました。そして先生に一つお願いをしました。”避妊手術も一緒にお願いします”今回は帝王切開です。卵管結紮術を希望しました。通常卵管結紮術は開腹手術となるため今回帝王切開のついでにしてもらえば開腹術のコストより安く施行してもらえるのです。”わかりました”先生も了解してくれました。今後の日程を聞き、診察は終わりました。診察のあと、入院のしおりなど一式をもらいました。その中には産後~退院までのパスの紙もあり出産翌日に歩行と書いてありました。恐怖の歩行かぁ・・・笑その後入院する病棟、産後赤ちゃんが入る予定の部屋を見学させてもらいました。産婦人科病棟は一般病棟と完全に仕切られており、付き添いは原則不可。もしもの時のこと、帝王切開のため個室を希望しました。赤ちゃんは産まれたらPICUに行く予定でした。(NICUは工事中のため)私の中のイメージではテレビで見るような感じで、一人ひとり保育器に入り、入出者はガウンを着て保育器の穴から手を入れて赤ちゃんに触れる!的なのを想像していました。が・・・保育器はなく、ガウン着用も無し!直接赤ちゃん見れるし、触れることができる状態でした。ここにくるのか・・・先生、看護師さんと顔合わせをし、とてもいい印象を受けました。”見学は以上だけど何か質問ある?”一番気になってたことを聞きました。”産まれたら、その場で写真撮ってもらえますか?”どうしても顔を見たかった。それがどんな状態でも。”時と場合によるね・・・。急いで処置が必要な場合は撮れないと思う。ここで確実に「撮れるよ」って返事はできないかな。”そういわれました。写真も撮れないのか・・・。いつ会えるんだろう。またそんなことを考えていました。いろんな見学が終わりその日は帰宅しました。産まれるまであと少し。11月に出産し、クリスマス、お正月があります。年賀状どうしよう。作らないといけない時期だけど、もしもの場合は送れない。もしもの場合になった時は、どうなるんだろう。年末年始、どんよりと暗い感じになるのかな・・・。親戚に四女の病気のことは伝えてませんでした。下手に心配させるのもよくないだろうと・・・。けど、正月にはいつも親戚の集まりがある。その場での報告なのかな。上の子達が産まれたら近所の人に紅白饅頭を配ってきたけど、それはどうするんだろう。最悪の場合になった時の自分はどうなる・・・。子供たちもどうなる・・・大丈夫かな。助かってほしい。大丈夫という気持ちと最悪の場合の想定、毎日そんな感じでした。自分の両親はすごく他人事に考えているようでとってもイライラしました。「京都だったら紅葉がきれいだね!」とか、こんな時によくそんなことを言えるな。不安な気持ちでいるのにもっと気の利いた事言えんのか。とある日キレてしまいました。”お母さんだって助かってほしいと思ってる。けど、一瞬でもこの世の空気を吸い、少しでもこの世に生まれてきてくれたことを感じてくれたらそれでよかったと思う。お母さんもなんて言ったらいいかわからん。けど、少しでも前向きな気持ちになったらいいと思ってそーゆーことを言ってるんや”泣きながらそう言われました。私も泣きました。なんて言葉をかけるのか正解なんか誰にもわからない。けど、自分の親だから不安な気持ちにもう少し寄り添ってほしいという甘えもあったのかもしれません。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月25日(35w5d)県外への病院へ受診が決まっていましたが、妊婦健診は引き続き県内でしていく。との話だったため、この日は県内の産婦人科。35wに入り、初めてのNSTです。心音が聞けるだけで安心。張り止めのお薬は飲んでるけどたまに張る。赤ちゃんは元気で、現在2300は超えている。手術に耐えれるように2500は超えてほしいと言われており、目標まであと少し。”たぶん予定日になれば3000は超えてるね!出産には2500は超えてると思うよ!”安心しました。けどそれとは逆に大きさは本当に順調なのに・・・。という気持ちでした。次の診察は1週間後、その日もNST予定。京都の病院で言われたことを伝えました。”もし、早めに入院とか、京都の外来とかぶるとかなったら、京都を優先してくれればいいからね!”そぉ言われました。”わかりました”この日は妊婦健診で終了しました。結局、この日が県内の病院受診の最後になりました。先生には直接ご挨拶ができませんでした。今も、コロナの影響で外来受診者以外は立ち入り禁止のため会うことはできていません。けど本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月21日(35w1d)旦那と一緒に京都の病院に受診です。午前中の予約時間だったため、朝早く出発。車で2時間半かけていきました。これから何度もこの道を通るのだろう。ついた病院は県内の病院とは全く違いとても大きな病院でした。予定より早く着いたから二人でご飯。久しぶりにのんびりとご飯を食べる。この日は産婦人科外来の受診です。県内では妊婦健診用の無料受診券が利用できるため自己負担額がありませんが、県外ではその使用はできないため、全額自己負担になります。担当の先生は女先生でした。またしてもすごく優しい先生です。エコー、内診など行いました。上の子たちのお産の経過を聞かれたり、現在のことを聞かれたり。出産は産婦人科と小児心臓血管外科、小児科ずべての日程が合う日になるため、今日の結果をふまえ検討する。と言われここにきてもまだ出産日は決まりませんでした。ただ、38週ぐらいになると思う。と言われたので、自分たちの中で予想している日程ぐらいになるだろうな。と思っていました。”これから先、麻酔科の先生、胎児エコーの先生の診察があるから、結構頻回に受診してもらわないといけないと思うけど大丈夫?もし難しいなら、普通は分娩の前日に入院するんだけど、1週間前ぐらいに入院してゆっくり過ごしてもらえばいいよ診察以外には特にすることがないから、入院中は普通に過ごす感じになるけど笑住んでるところが遠いから、負担になるならそうゆうこともできるけどどうする?”11月7日は長女の誕生日。それは家で祝ってあげたい。受診は一人でも大丈夫と言われたけど、先生と旦那が心配している笑けど、今までも妊娠中にいろんなことをしてきたから一人でも大丈夫だと思ってる嫁。家のことがあるから結局この場で判断はできず、次回の診察で返事することにしました。手術で麻酔を使用するため、採血、心電図など必要な検査をしてこの日は帰宅しました。ここの病院で出産。きっとこーゆー大きな病院で出産する人はハイリスクなお産な人ばかりなんだろうな・・・県外ナンバーの車も多くみられました。あー今日もお産日決まらなかった笑
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月18日(34w5d)いつもの病院への受診です。京都の病院へ受診する日程が決まりました。いよいよという気持ちになりました。”ここで産めたらよかったんだけど、重傷心疾患だから、少しでも赤ちゃんに負担の少ない方がいいと思うからね。向こうの先生には今までのことは全部伝えてあるから。安心して。信頼できる腕のいい先生だからね。”先生はそぉ言ってくれました。この病院に転院してきて、この病院で産むと思ってた。けどそれも変わってしまった。”お腹張らない?”お産が速くなることは絶対にダメ。県外での出産になったため、陣痛が来てしまったら確実に間に合わない。前回の出産が陣痛がきて病院に着き1時間もしないうちに産まれたからもし今回もそんなことになったらどうしよう。とっても不安でした。”お腹・・・張ります。けど、この時期に張るのはいつもで、こんなもんかな・・・って思ってます。”そぉ伝えると、”張るの?・・・陣痛くるとあかんから、張り止め出しておくね!”以前にも飲んだことのある張り止めです。動悸、手の震えが出る薬です。笑分厚い紹介状を受け取り、帰宅しました。私たち夫婦はすごく人の縁に恵まれていると思います。前の病院でたまたまエコーで指摘を受け、この病院にきた。前の病院は女先生だったから久々の男先生にちょっと抵抗があった。かなり厳しいことも言われたけど、とっても優しくて、また、この先生の繋がりで今回の病気を疑いから確定にすることができた。もし、この時点で確定になっていなかったら確実に手遅れになっていたと思う。けど、そんな後悔をしないように、最大限のできることは全て提案してくれた。看護師さんたちもすごく優しくて、待ち時間が長い時や、エコーの時間が長いとき、大丈夫?って何度も声をかけてくれた。感謝しかありません。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月16日(34w3d)いつもの病院に紹介状を取りに行きそのまま大学病院へ。今回は検査だけなので、一人で行きました。でかくてきれいな大学病院。きっと京都はここよりも大きいんだろうなぁ。初めての病院に緊張しながら行きました。MRIのみと言われましたが、先生にエコーをしてもらえました。今までもエコーをしていましたが、ずっと心エコーだったため大きさや顔、エコー写真はずっとありませんでした。”大きさとかどのぐらいか聞いてるー?”薄暗いエコー室で不安な私に女先生が優しく問いかけました。”いえ・・・ずっと心エコーなので笑””そっかーお顔見えるよー”そう言われ、見た瞬間、涙があふれました。こんな顔をしてるんだぁ。上の子たちと似てるなぁ。かわいいなぁ。こんなに元気なのに・・・。いろんな感情があふれました。なかなか顔を見せてもらえない。といったためかお顔のエコー写真を印刷してくれました。とっても嬉しかった。”ちょっと、心臓の方も見るね”と、いつものように赤ちゃんの心臓の方に向け無言で確認し、エコーは終了しました。いよいよMRI。検査用の服は妊婦用はなく、男性用の一番大きいサイズを用意されました。待ち時間も結構ありましたが無事検査が終わり自分用にデータもいただき帰宅しました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。前回の診察から2日後ぐらいにいきなり病院から連絡が入りました。日程か決まったのだろうか?そぉ思いながら電話に出ました。”京都の病院に紹介するにあたり、胎児のMRI検査を行ってほしいと連絡があり、検査を受けてほしい。”という内容でした。しかし、いつもかかっている病院では検査ができないため、大学病院に検査だけ受けに行ってほしい。その結果も京都に郵送し、それから受診する日が決定するとのとのこと。でした。また、この時期のMRIは胎児には影響が無いので安心して受けてきてと。”わかりました”行くしかありません。大学病院かぁ・・・いったことないし、緊張するなぁ。検査を受けてからの日程調整になると、京都に行く日はまだ先かぁ・・・。MRIでお腹の中の赤ちゃんの肺まで確認できるなんてすごいなぁ・・・。なんて考えていました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。6回目の診察は検査結果の日になので今回は7回目の診察になります。令和1年10月8日(33w2d)旦那と一緒に受診。京都の病院で出産することを伝えにいきました。しかし、こちからいう前に先生から”こっちも色々考えたんだけど京都の病院での出産はどうかな。と思ってます”と言われました。”はい。家族で話し合った結果も京都で、と思ってました”先生からの提案の理由は以下の通りです。この病院の先生は京都の病院の出身者が多く、日頃から連絡を取り合っているから。あと、今後お世話になるであろう隣の病院にも京都からの先生が週1で来ているから。京都の先生の腕がとてもいいということ。意見が一致してよかった。こんな事を言ってはいけないのでしょうが、ここで金沢を選択していたらきっと娘は・・・と思っています。(決して悪いという意味ではなく、今回の娘の治療に関しての意見となりますので不快、不安になった方は読まないでください)早急に連絡を取り京都に受診する段取りを取ってくださるとのことで、珍しく短い診察でこの日は終わりました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年10月2日(32w3d)妊娠9ヵ月目に突入しました。帝王切開と言れているけれど未だに出産日が確定せずそわそわ・・・一般的に帝王切開の場合妊娠38週ぐらいに行うそうです。現在32週。あと6週で38週なのに・・・出産自体は県内で可能なのだろうか。県外で手術を行うなら、県外で産んだ方が確実なのではないだろうか。ここにきて帝王切開の不安なんてありませんでした。正直、最初に帝王切開と言われたときはかなり不安でした。産後が大変とゆーし、上の子たちは普通分娩だったし、なんせ手術自体未経験腰椎麻酔・・・絶対痛いやん・・・分娩台には全裸であがるそんな恥ずかしいことある?笑きっと分娩時には沢山の医療関係者に囲まれていることは確実。なんてことを考えていました。けど今は違う。この子を助けるためにできることはどんなことでもする。話はそれましたがこの日は普通に診察日でした。まだ検査をしてから1週間ちょい。今日結果を言われるのだろうか。けどまだ検査結果来てないだろうし、今日は一人。何か言われても旦那はいない。不安な気持ちで診察に行きました。”こないだの羊水検査の結果返ってきて異常ありませんでした!”・・・そんなあっけなく言う?笑めっちゃ緊張してたのに話の流れでさらっと言われました。笑けど、よかった・・・ホントによかった。これで手術をしてもらえる。命を救ってもらえる。そんな気持ちでした。そこで先生から提案。”手術を県外で、と話ししたけど、分娩自体を県外の病院でしませんか?ここで分娩して県外の病院で手術を行う場合、間に合わない可能性が考えられる。””わかりました。どこの病院になりますか?”今日は一人で来たけど答えは即決です。助かる可能性が少しでも高い方を選ぶ。”家族は大丈夫?””大丈夫です。問題ありません。”前に書いた通り、私の住んでいる所は田舎です。もっと書くと、福井県です。みなさん福井県知ってますか?笑”県外となると今候補に挙がっているのは石川(金沢)か京都かな。距離的には京都の方がちょっと遠いかな。家族で相談して次の時に返事聞かせて””わかりました”帰って旦那と相談。携帯で距離を確認。車で行くとどっちも似たような距離。電車の場合、京都の方が便利かな・・・。手術の実績も確認。どっちも出てこない。けど私たちの中で、京都の方が良いような気がする。という結果になりました。直感です。何の根拠もありません。次の診察で京都と返事することを決めました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年9月24日(31w2d)羊水検査当日。この日までに羊水検査をした人の感想をたくさん見てとてもびびってました。私が見たのは、・一般的に妊娠16~18週の間。・出生前検査として高齢出産の人が検査希望することが多い。・費用は10万円以上。実費。・検査結果は2週間ぐらいかかるなど書かれていたと思います。あとは検査の方法、痛みなども調べました。痛いという人がほとんど・・・。私は妊娠31週。高齢出産ではない。羊水検査を希望したわけでもない。けど引き返すことなんてできません。病院に到着し、案内されたのは分娩室。もちろんそこには分娩台。それを見るだけで緊張が増しました。病衣に着替え、看護師さんと話しをしながら先生が来るのを待ちました。張り止めと抗生剤の点滴を打ち(手首と肘の間。痛いんです笑)痛いですか?看護師さんずっといますか?など、すごく不安が溢れ出てたと思います笑点滴で脈が速くなりドキドキして震える。先生到着。”大丈夫?検査自体はすぐ終わるからね!”大丈夫ぢゃないです。不安です。怖いです。なんて言えません笑エコーで赤ちゃんの動きを確認して、針を刺す位置を決めていく。なんと、針を刺すのはいつも診察してくれる先生ではなく、若そうな先生!きっと経験積まないとダメなんだろな・・・針を刺す位置が決まり、麻酔。痛い!!!!!!!思わず声が出てしまった笑一旦抜き、違う部分にも麻酔。もぉ痛くありません。そこからいよいよ検査。いつもなら見てただろうけど、さすがに怖くて思いっきり目を瞑ってました笑検査自体はほんとに一瞬。びびりまくってたら、”もぉ終わったよー!”早ずぎてびっくりしました。この後の事を説明され先生退室。止血して、しばらく安静。軽く着替え、車いすに乗って(大げさ笑)診察室へ移動し、再度エコーで赤ちゃんに変化がないか確認し終了。時間はお昼になってました。病院から昼食が出ると嬉しいことを言われたのでおいしくいただきました先生が来て、”結果が出るのには2週間程かかる。けど、1週間でおおまかな結果が出る。その結果で異常なければそのほかの結果もほぼ大丈夫だと思う。””もし異常がなく、赤ちゃんの手術を行うとしたら、県外になるけど、どこがいいとか、無理とかある?”と聞かれました。このことは旦那と相談してました。もし県外となったら近くでどこがあるのか調べていました。しかし、『症例件数が多い病院』や『有名』で調べてもなかなか出てこないんです。私たち家族の意見は”この子の命が助かるのなら、どこでも大丈夫です”で一致しました。”上の子たちのことは誰か見てくれる人いる?”先生はそこを心配してくれていたみたいです。”大丈夫です。何とかなります。治療を優先に考えてください。”先生は了解してくださいました。いろんな病院に意見を聞いてくれているみたいでした。検査がすべて終了し、会計は7万円でした。針を刺したところが少し痛むけど問題ないとのことで帰宅。結果が出るまで時間はあったけど、自分の中で、大丈夫。という気持ちが少し強まってたと思います。理由はわかりません。けど、きっと大丈夫と思って過ごしてました。
4姉妹ママですが、ブログは四女の成長記録になります。令和1年9月20日(30w5d)旦那と一緒に受診。前回説明があった『総肺静脈還流異常』で確定ということで話は進みました。心疾患がある場合には、ほかの病気もある可能性がある。という話をされたのを覚えていますか?自分でも色々調べた結果、心疾患は染色体異常の子、無脾症の子に多く心疾患単独での病気というのは稀なようでした。もちろん世の中には必ずしもイコールではないとは思うのであくまで個人的意見です。つまり、染色体異常の可能性を指摘されました。現時点では疑ってはないといわれたものの、有無をはっきりさせたい。とのこと。”もし染色体異常が見つかった場合は手術はできない。染色体異常を持っている子は、寿命が短く、助けることが難しい。染色体異常が見つからなかったら出生後の手術を行います。染色体異常を持っている子は、もともとの寿命が短く、今回の手術がかなりの難易度があるため、助けることは難しい。あと、出産後の手術に関しても、隣の病院ではなく県外の症例数が少しでも多い病院に行ったらどうか。と思っている。”そういわれました。染色体異常が見つかったら手術ができない?今の状態だと産まれても呼吸ができないと言われているのに、手術しなかったら・・・勇気を出して聞きました。”手術をしないということは亡くなるということですか?””そーゆーことになります。”残酷すぎるでしょ。お腹の中で10ヵ月育て、亡くなると分かっている我が子を出産する?染色体異常があっても成人になっている人はたくさんいるのに何で・・・家系に染色体異常を持った人はいません。先生も現時点ではないと思う。と言うけど、100%大丈夫です。と言える要素はない。何かの変異で健常者から染色体異常の子が産まれることだってある。もし染色体異常が見つかったらどうしよう・・・染色体異常の検査は羊水検査です。もぉそれすらも怖いです。検査も、結果も怖い。けど受けないと前には進まない。まさか自分が羊水検査をすることになるなんて思ってなかった。早い方がいいということで検査は4日後。あっとゆーまに診察が終わりました。こんなに元気に動いているのに。染色体異常があったとしても、心疾患があったとしても精一杯育てる。その気持ちは最初から変わりません。旦那も同じ気持ちでいてくれてたはず。けどそのどっちもあったら育てることすらできなくなってしまう。帝王切開で産まれて、会える時にはもぉ亡くなった状態なのかな・・・写真とか撮れないのかな・・・マイナスな考えのイメージばかりでした。