たまに、社会で炎上する言葉に、

「不思議だなぁ〜。」と、思ってしまう。


例えば、「優生思想」


私は、大豆を植えようとしていて

昨日、大豆を選んでいた。



この中から、大きい粒をよって、選ぶ。

そして、ぬるま湯に付けると、

種は芽が覚めて、発芽すると言う。

お湯が熱すぎて、どうも失敗してしまった様。

適切温度は、温泉程度。40度前後?


これって「優生思想」ではないのかな?

自分が育ててみたい種を選ぶ。

自分たちが普段してることでは?

欲しい服を選んで購入する。

クラウドファンディングで寄付をする。


ものすごい反発する人がいるけど、

「優生思想?じゃあ。オレ絶対選ばれるね。」

なんでも、

好きな解釈すればいいだけのことだと思う。


人の好みはいろいろ。

蓼食う虫も好き好き。


みんなが同じものを見て、

みんなが同じ人を好きになる訳でも

みんなが同じ人を嫌いになる訳でもない。


最初に選んだ種たちは、

   湯が熱すぎて、失敗した。。。

次に選んだ種たちは、

   土の中で、子孫繁栄。

残った大豆は、調理して頂く。


優れていないと、

  子孫繁栄する必要はないのか?

と、反発していると思うのだけれど、


種を巻いて、実が成り、一番早く成長した

優れた苗は、きっと、

「大豆」になる前に、「枝豆」として

食される。


優生思想は、思想として、

現実的には、「運」だと思う。


考えて出来ることと、実際は違う。


それに、種取り屋さんになると、

たくさん蒔いた種から成長した中で、

突然変異でおかしなものが成る。

これを、「新品種」として、

新たなものと成ることが有る。


優れているとか優れていないとか、

たった少数の判断からの結果で、

どうとなるものではない。


確かに、選抜されるものは有るが

命あるものはどうあろうと

生きるものは生きる。


社会に流れる言葉は、ほんの一握り。

氷山の一角。


それに一喜一憂せずに、

「ま〜。そうでしょ。」

「ケーキ屋のショーケースに

 20個ケーキが並んでいれば、

 自ずと、何らかの形で選んでいる。」

「優生思想と言えばそうかも知れないが、

 自然の有る姿だと思う。」

「わざわざ言葉にすれば、

 反感も起きる時もあるけど、

 そんなもん。」

「いくら優れていたって、

 家族や大切な人、お世話になった人、

 ご縁がある人があれば、

 優れていなくても、自然とそちらを選ぶ。」


世間一般には、いろんな言葉が飛び交うけど

イライラ神経質に成るほどでもない。


自分が平和なら。

自分の周りが平和なら。

世界が平和なら。


自分が最初。

そして、次に自分の周り。

大きな実際に

触れたり話したりあったりしない

遠くの世界、大きな世界は最後でいい。


まずは、自分の幸せを祈る。

そして、自分の幸せを認め、

家族の幸せを祈る。


1番簡単なことを1番初めに成功させる。