今日のぼやき。


稲刈りの昼ごはん。


兄弟や、いとこは、子供の話。

叔母達は、孫の話。


年相応の、世間一般的な、

標準値に達していない私は、

子供どころか、結婚もしていない。


盛り上がる子育ての日常の話に、

入るすべもなく、

居場所がない。。。


そそくさと、昼ごはんを食し、

午後に飲む、飲料を買いに自販機に向かう。


つまり、

居心地の悪さに

逃げ出したのだ。


気が付いたら、

自販機の手前に、お墓が有ることに気が付き

手ぶらで墓参り。


そして、ボヤいたのだ。

「お父さん、お母さん、

じいちゃん、ばーちゃん、

ご先祖様、いつも有難うございます。」


「結婚もせず、

 子供も居ず、

 居場所がありません。」


そして、

挙げ句の果に、

捨て台詞


「そう言えば、

父さんも、母さんも

居場所は無かったね。」


「でも、

亡くなった時、

こんなに沢山の方達の中に

居場所が沢山あったんだと。

気が付いたんだっけか。。。」


「沢山あったね。居場所。」

「沢山の人に、大事にされてたね。」

「無いと思ってた、だけだったね。」


昔を思い出し、

ぶつぶつと、声に出していた。



稲刈り🌾を再開。していたら、

隣の畑から

父の遠い親戚が、

顔を出した。


「ミニトマト食べるけ?」

「沢山有るから、ボール持ってきなぁ。」

「甘いよ。食べてみな。」

「家のは無農薬だから。」

そう言いながら

「大根は?」

「ししとうは?」

「ねぎは?」

「茄子は?」





「のどが渇いたら、畑に来て、

 ミニトマト食べなね。」


「野菜欲しかったら、

 私居なくても、採っていっていいからネ。」


居場所が無いと感じた昼休み。

そして、ボヤいたすぐ後で、


「あなたにも、居場所は有るよ。」

と感じる、時間を与えられる。


思っている気持を、

言葉に出すと、

答えを与えられる。


「あるよ。」

「あなたにも、居場所はあるよ。」


お墓参りをしたお陰で、

私は、安心と、沢山の野菜を頂いた。

「いつでも来て、採って行っていいからネ。」

「私が居なくても。」


親は、

もう既に亡くなって居ないが

親の様に言葉を掛け

心配してくれる方が居る。

親のお陰であり、

ご先祖様のお陰である。


寂しい気持と

有難い気持ちの2つを味わった日。

それが今日。


あるを見つける。

「あるよ!」

「ある。ある。沢山る。」

無いと思わない。


感情を言葉にすると、

目の前で、答えが展開される。

「あなたが、そう、思っているだけ。」