カタカムナ第1首
カタカムナ第1首の文字を、1つにする。
学び初心者の私は、していることが
あっているか、
間違っているか、どうかも分からない。。。
カタカムナの文字は、1つに出来る。
1文字1文字が、なんとなく似ていて、
似ているようで、似ていない。
そして、1つにしようとすると
1つに出来てしまうような気がする。
見ていて、宇宙の天体の様に感じさせるのが、
このカタカムナ文字。
海王星と冥王星は、水で出来た惑星。🪐
同じ様に感じるが全く違う。
全く違う様で、球体、水の惑星🪐であること。
似通った部分が存在する。
火星や土星、地球🌏に、太陽☀。
違うと言えて、似ている。とも言えてしまう。
そして、冥王星を太陽の様に、変えようとも、
金星を月の様に直そうとも
火星を土星に合わせようとも、思わない。
自分自身の特性。
個性を意識して、苦しくなった時に、
空を見上げて天体の存在を感じ取る。
自分は自分のままでいい。
あるがままでいい。と。
空を見上げて、
土星も冥王星も月の様だったら、
熱狂的な天体マニアは存在しない。
すべてが違うからこそ。
魅力を感じ、見続ける人がいる。
宇宙も、植物も、微生物も
見て、触れて、聞けて、
五感で感じ取れるのは、
私達が生き方に迷った時に、
「これでいい。」
「今のままでいい。」
「あるがままの自分で完璧。」
「大丈夫だ。」
と、
教えてくれる為に存在している
魂だと。
ある時、思ってしまった。
「今、幸せである。」
「ただ、存在するだけで、幸せである。」
この世で苦しみ、
あの世はただただ、
母親の胎内に存在しているかの如く
無条件の愛(幸せに満たされている。)
この世がなぜ存在するのか?と、解くと
己という、個の存在、個性、
価値を感じるためだと、私は思う。
あの世は、私とあなた、
みんなと境目が存在しない。
色も、形も、臭いも、音も、味も
何もない。
何もない、無色透明の全ての中に、
自分と言う存在を認識しているだけ。
自分自身を体感するために、
この世は存在している。
良いも悪いもすべて含めて私。
すべてが、最高の私と、捉えられた時、
母胎の私は、至福を味わうことでしょう。
良点も悪点
悪点も良点と、捉えるとした時。
すべて、良点と捉えられる場を
自分に与えられたら、
すべて良点となる。
カタカムナの文字は、
それを教えてくれている気がする。
良いも悪いもない。
ただ、存在するだけ。
そして、いつでも、在るがままで、
すべてと一つになれると。