劣等感を克服するためには2つの対処法があります。
それは「視野の多角化」と「価値観の多様化」です。
容姿や学業成績、体力、技能、性格、人間関係、社会的地位など、劣等感が生じるポイントは人によって様々です。
劣等感に囚われている人は極端に視野が狭まっている場合があります。
特定の分野において自身が他者に劣っていると自覚することがあったとしても、視野を広く持ち多様化した価値観を持ち合わせていれば他者と比べ劣等感に苛まれることはありません。
幼少期から親の価値観を押し付けられ受験勉強にその青年期を捧げ、有名国立大学を卒業しその後エリート官僚となった多くの上級公務員が自殺しています。
彼ら高級官僚の死因の一位が癌によるものであり、なんと二位がその自殺とも言われています。
彼らは人より多くの点数を取り入学試験の合格を勝ち取り、そして国家公務員の頂点、霞が関の上級官僚となります。
その後も出世競争が待ち受けており、上に行けば行くほどその席は少なくなり、最終的に上席にたどり着けるのはほんの一部の人間のみとなるわけですが、そこで出世競争に負けた彼らの一部が絶望し自らの命を断ってしまっているという事実があります。
それなりの給与をもらい、雇用も保証され、三階建ての年金で老後の生活まで保証され民間企業の私たちが羨むような彼らがなぜ自らの命を断つまで自身を追い込んでしまうのでしょうか。
彼らにとって官僚として高い地位と職位を目指すこと以外に自分たちの存在意義を見出すことが出来なかったのかもしれません。
そんな彼らが広い視野と多様な価値観を持ち合わせていればどうだったでしょうか。
「エリート官僚として高い地位に就くことだけがすべてではない」
「同期入社の者に先を越されても気にすることはない、職位や収入がすべてではない」
「自分には他者に出来ないことが出来、自分にはやりたいことがある」
彼らがそのように考えることができればどうだったでしょうか。
劣等感に苛まれている人の多くは自身でそれに気づきにくいものです。
劣等感は無意識のうちにその姿を変え無自覚のうちに言動や行動に及び、特定の物事に執着したり、他者の言動に敏感に反応しマウントを取り、取り遠回しに自己の優越性をアピールするなどにその行為は多岐に渡ります。
私たちは往々にして劣等感からその悔しさをバネにし努力します。しかしながら劣等感から努力して勝ち得た後には更なる劣等感が生まれそれに終わりはありません。
幼稚園のお受験から大学入試、上級公務員試験の狭き門を突破すればその後も出世競争が続き、定年後でさえ天下り先での待遇争いが続き、気がつけば人生の終わりを迎えます。それまでにも大勢の人間が心労から自らの命を断つと言われます。
彼らには「受験勉強と出世」という視野が狭く、限られたその価値がすべてだったために、それが叶わないとなり人生のすべてに絶望してしまうのかもしれません。
彼らが広い視野を持ち多様な価値観を持ち合わせていれば他者と比較し劣等感に苛まれることなく違った人生を歩むことが出来たのかもしれません。
自分の得意なこと、自分だからこそ出来ること、見識を広め、他の誰との比較でもない何について比べるでもなく価値の測り方は様々です。
劣等感を克服するための2つの対処、「視野の多角化」と「価値観の多様化」。
自分は劣等感を持っているのではないか、もしそう思い当たる節があるならそれら2つを意識し取り組んで見る価値があるかもしれません。
そしてまたそのような状況の他者を導く立場にあるならそれらを念頭に置いて進めることにより良い方向に向かうことがあるかもしれません。
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