人は幸せになるために生まれてくる、と

 

世間ではそのように言われます。

 

 

至るところで当たり前のようにそう言われ、多くの人間がそれに同意します。

 

 

しかしながら、もしその話を否定し、

 

「人は精神的成長を遂げるために生まれ、その精神的成長は大きな苦痛を伴う」

 

そのように話そうものなら人々から理解されることは少なくそして非難されることもあるでしょう。

 

 

精神的成長を遂げるために自分は生まれ、その成長は苦しみそのものだと、この世に生きるどれだけの人間がそれを聞いて同意し納得するでしょうか。

 

 

 

「そのままの自分で良い」

 

「頑張らなくて良い」

 

「あなたは間違ってはいない」

 

 

近年ではネット上など私たちにとって耳障りと心地の良いそのような言葉が至るところに蔓延しています。

 

 

女性が電車の中で恥じらいもなく化粧をし、大きな足音を立ててガニ股で下品にオフィスを闊歩し、目に見えるところだけ着飾り自宅はホコリだらけ、知性も教養も道徳心もなく頭の中は空っぽ。男性もその種類や特性は違えどそれに同じく。

 

 

「そんなありのままの私で良い」

 

「ありのままの私を愛して欲しい」

 

そのような人にどのような人が惹かれ魅力を感じ近づいて来るでしょうか。

 

 

私たち人間の根本的欲求は「成長欲求」と「退行欲求」しかないと言われ「成長欲求とは苦しみそのものである」と言われます。

 

成長欲求のない人間には退化の道しかなくそれは無に帰ることを意味し、心地よい現状維持というものはそもそも存在せず、現状維持とはイコール退化・退行であるということについて

 

宇宙はその意志に基づき成長し続け、現状維持を求めることは退化退行でありそれは漆黒の闇に戻ることを意味するということについて

 

更に私たち人間一人ひとりの存在は宇宙の一部でもあるということについて

 

 

どれだけの人間がそれらを理解することが出来るでしょうか。

 

 

私たち人間が幸せになるためには共存共栄の世界の実現が必要になります。

 

その共存共栄には私たちの精神的成長が必要不可欠でありますから、そういった意味では幸せになるために人は生まれるというのは間違いではないのかもしれません。

 

ですが、私たち人間は自分に都合の良いように物事を解釈します。

 

例えば「わがまま」と「自己主張」とを同じに解釈してしまい、私たちの多くはその意味の違いすら理解していません。

 

「わがまま」は依存心と獣性に基づき「自己主張」は自立心と信念に基づくことすら私たちは理解出来ずぞれらをあたかも同じものとしてしまっています。

 

 

私たちが過ごす現代はそれら正しきことを教え導く教育者が不在の世でもあります。

 

家庭教育、学校教育、職場での従業員教育など、あらゆる現場における教育者の育成と、更にその教育者を教え導く指導教官の育成に社会全体が全力で取り組む未来を願わずにはいられません。

 

 

 

 

 

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